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わたしがこの家に来てもう10年目になろうとしています 

卒業生Mさん

 

わたしがこの家に来てもう10年目になろうとしています。

短いですが手紙にして今までの感謝の気持ちを伝えられたらと思います。

わたしはとても短気でプライドが高く、すぐ反抗をして困らせることが多かったと思います。わたしはそんな自分が本当に嫌いでした。

そんな私に里母は注意したり叱ってくれました。

叱ってくれるのことはとてもありがたいことだとわたしは思います。いつも血圧が上がりながらもわたしをきちんと叱ってくれてありがとう。

 

追試で1人じゃ多分できないだろうと落ち込んでいた時、里父が毎日毎日、プリントを作ってくれて、わたしの勉強を見てくれました。あまり言葉には出せませんでしたが、本当に本当に感謝しています。

わたしが学校で嫌なことがあった時、相談に乗ってくれた里母。里母と話していると嫌なこともなんだかどうでもよくなって、元気をもらっていました。

わたしが困った時、悩んでいる時、必ず助けてくれたり、相談に乗ってくれてありがとう。

毎日起こしてくれて、よくわたしのわがままを聞いて学校まで送ってくれたり、お昼ご飯を食べに行ったり、夜ご飯にわたしのリクエストしたものを作ってくれてありがとう。

 

わたしは将来、色々な方々から尊敬され、慕われている2人のような大人になりたいです。

そしてわたしの夢である航空業界の仕事に就き、お客様から信頼されるような素敵なグランドスタッフになりたいです。

これから2年間はまだお世話になりますが、一生懸命に勉強をして就職し、お給料を貰い始めたら、2人に美味しいご飯をご馳走したいです。

これからも末永くよろしくお願い致します。

 

18歳になり巣立ち式を迎えるMへ 里母AH

 

高校卒業おめでとう。そして専門学校合格おめでとう。

Mは、高一の時から英語が大好きで「キャビンアテンダントかグランドスタッフになりたい」というのが夢で、その夢は3年間変わらず、専門学校のエアライン科に進学します。

小4で我が家に来た時には、2歳下の妹が先に来ていたこともあって最初からお姉ちゃんでした。しかも勉強も良くでき、スポーツも得意、クッキングも大好きで気が向くとケーキを作ってはみんなにふるまってくれました。おしゃれで、センスもよく、お部屋も女の子らしく品よくきれいにするので、うちの女の子たちは口にこそ出しませんがあこがれていました。そんなMなのでついつい私もMに期待したり頼ることも多く、すると途端に「なんでわたしばかりにいうの!」と逆鱗に触れ、口争いになってしまいました。しばらく私は、なぜそんなに怒るのか理解できませんでした。簡単にできることをなぜここまで怒るのか?門限破りなどのルール違反も加わって私との争いはずっと続いていましたが、その争いをしつつも話し合いを重ねたり甘えんぼになったり、多分お互いに理解できるところも増えて、最近は争うこともずいぶん減って気持ちよく手伝ってくれることがほとんどになりました。

 4月からは学校もですが多分バイトも忙しくなり、今までのような生活とは一変すると思います。それでも楽しく前向きに自立に向かって過ごしてもらえたらいいと思います。

 M、これからもお手伝いよろしく!仲良くやろうね!

令和3年3月13日

 

『「里親冥利」を感じる今日この頃です』   里母AH

 

現在里子は、短大1年女子が14年、高3女子8年半、高1女子9年半、中3男子12年、中1女子7年半、小4女子1年半の6人で、幼児期か小学校低学年のうちに来て長くいる子がほとんどなので大家族のような関係になっています。

 コロナ自粛中はほとんど外出できず全員家にいるので、全員で朝8時に起床、補助員さんも来れないので全員で掃除(時給900円のバイトということで希望者にしてもらった)、朝食、洗濯物干し、勉強、昼食、買い物(希望者2~3人)、洗濯物片付け、夕食づくり、夕食、入浴、テレビ他、就寝という風に毎日規則正しい生活がゆったりと流れ、日頃なかなか時間が合わなくて伝えられなかった洗濯の干し方や調理法など一人暮らしになった時に必要なことを丁寧に伝えることができて快適な3か月でした。

 自粛期間が終わり再び忙しい日々が始まると、思春期ならではのルール違反、例えば故意に門限を破りスマホに連絡しても電源を切っているとか、バイトの時間や日数が約束と大幅に違い、そのせいで部屋はゴミ屋敷、学校では遅刻や違反、始末書、家での態度も悪くなるなど困ったことが増えました。そんな時は里親だけで抱え込まないで、児相に連絡を入れ児相の方から意見をしてもらったり、前々から教頭先生に子どもの困りごとを相談しておき、いざというときには、担任や学年の先生に手伝ってもらったりしています。子どもたちは自分に都合のいいことしか先生には伝えていなかったりするので、日ごろから担任の先生とのやりとりを心掛け、正確な情報を伝えることは重要だと思っています。

 それから、思春期の子が多いことで意識的にしていることは、何でも里親がやってあげるのではなく、やれることはできるだけ子ども自身にやらせ、できない部分を手伝うということを基本にしていることです。小学生高学年からそのことを伝えます。例えば入浴の後、洗濯をして干すまでは夜子どもたちが自分の分をそれぞれでする。でも、背の低い小学生は物干し竿が届かないのでおとなが手伝って低いところだけを子どもにしてもらう。自分ですることが基本になると、思うようにならなかったからといって周りに八つ当たりもできないし、できない事情がある時はどうしたらいいのか周りの人に聞いたり、手伝ってくれるようにお願いしたりと、してもらうのが当たり前の「何でしてくれんとよ。」の不満の世界から一歩抜け出します。私も気持ちよく「いいよ。手伝ってあげるよ。」と言ってあげられるのが嬉しいです。相手が思春期であっても毎日気持ち良く過ごすための条件提示は心掛けたいと思っています。そのためには、子どもたちにとって理解しやすく納得でき改善するのが簡単な内容でないといけないと思います。

お小遣いは、小・中学生は、1週間に1000円、高校生は1週間に2000円。ただし、部屋が整頓されていることが条件です。ゴミ屋敷状態で片づけない子には、土日に必ずきれいにするように言います。そして、その日がくると、朝のうちにいつ片付けるか尋ねます。その時間が過ぎても片付いていない場合は時間をずらしていきます。そして最後は、片づけないと外出してはいけないと言います。大概の場合、そこでやっと片付け始めます。仕上げに里親が部屋に行き、片付いていない所を指して一つ一つ片付けてもらってお小遣いにたどり着きます。これを何回か繰り返すうちに少しずつテンポがよくなってきています。週に1日でいいんです。自分の部屋を整頓して身も心もすっきりしてほしい。文具は、好みもあるので各自お小遣いで買うことにしています。

お小遣いとしては多い方だと思うのですが、その代わり罰金制度もあって、原則門限に遅れた場合、1分100円としています。でも、すぐにシビアに実行するわけではなく、何回も約束が守れなかったり、内緒でライブに行き連絡してもスマホの電源は切っていて夜中に帰ってくるなど悪質な場合にこの罰金制度を使いました。でも最近は、子どもたちも知恵を働かせ前もって粘り強く里親に交渉し許可を勝ち取るなどの工夫で罰金にならないようにしたたかにクリヤーするようになりました。これも生きていく知恵だと思います。

お小遣いを使いすぎた場合は、「バイトも可」にしていますが、厳しいチエックが入ります。まず、仕事の依頼者がしてほしいと思っている仕事であること。身内のバイトだからと雑な仕事はしない。タイムカードを打ってもらい、1分15円(時給900円)で計算します。車掃除、大掃除、草取りなど。雨の日にコインランドリーに洗濯物を運んだり、段ボールに入った飲み水用ペットボトル運びもバイトです。1回では300円くらいにしかならないことの方が多いですが、「塵も積もれば山となる」で月で計算すると2000~3000円になっていたりします。

お金の件ではほかに、送迎費を払ってもらったりしている子もいます。1㎞圏内は200円、それ以上は500円です。勿論これも罰金と同じく好きで決めたことではありません。毎日毎日、近場から遠いところまで朝の忙しい時間に「お願い!遅刻するから送って!」常習者は週に4日。毎日平均2人。台所で洗い物をしている里親の横に亡霊のように立って。「今日はいやです。自分で行ってください。」と言っても「お願い。…お願い。…」何でこんなに毎日毎日送らなければならないの?1時間以上前には起きているのに…。なんで?スマホのせい?自転車で行きたくないから?時間とお金の管理ができることが自立に必要不可欠なことなのにその時間の管理、見通しが甘い?人に頼りすぎ?

送迎費制度を作ったからといってすぐに状況が変わったわけでも勿論ありません。ただ、大人側が少し寛容にはなれます。「お小遣いが減ってでも送ってほしいのか。」と思えたり、「週4回も学校まで送ってもらっていたら、週のお小遣い吹っ飛んじゃうよ。いいの?」と意見が言えたり。

 「闘いの日々」とも言える子どもたちとの毎日ですが、最近は少し穏やかな日が増えているような気がします。ルール破りも影を潜め、週4回送迎希望の子も回数がぐっと減ってにっこり笑って「いいよ。」と言ってあげられる状況にはなっています。少しずつですが、子どもたちが大人に成長しているのかもしれません。

高1の子はバイトの給料をもらった後、みんなにケーキを買ってきてくれました。短大の子は、月に10000~20000円(そのうちスマホ代10000位支出予定)しかバイトの収入がないのに、里親に「誕生日には夕食をごちそうするね。好きなお酒も飲めるように代行のお金もためとくから楽しみにしてて!」なんて言ってくれたり。

 長く子どもたちと関わっていると大変なことも多いけど、時々なにげなく子どもたちから心のご褒美をもらって癒されたりして「里親冥利」を感じる今日この頃です。

これからも、子どもたちにわかりやすいルールで穏やかな時間が増やせるように工夫していけたらと思っています。

 

『お墓も一緒のところに』  卒業生Sさん

 

 私は5歳半の時、育児院から今のAファミリーに来ました。元々私は妊娠6カ月で生まれ体も弱く発達も遅れていました。それで、たくさんの刺激が必要とM先生は考えたらしく、ひらがな、カタカナも知らなかったのでその勉強をしたり、ピアノやスイミングを習いました。

 

 小学校に入っても毎日三時間の勉強と習い事は続けました。そのおかげで普通学級で成績も真ん中より上でした。中学校からはM先生が病気になったので、一人で勉強をしなければならなくなりました。そのせいで成績は下がりましたが、無事に高校にも合格し、その高校の推薦で、今短大にも通っています。

 

 短大では、保育の勉強をしていて超未熟児についても学ぶ機会がありました。超未熟児の三大特徴の中に脳性麻痺がはいっていてびっくりしましたが、「あっ、だからか」と納得できる心当たりもありました。

 

 措置延長で今短大に通っていますが、それが終わってもしばらくここに居座るつもりなので、今後ともよろしくお願いします。ちなみにお墓もM先生と一緒のところに入れてもらいたいと思っています。

 

『120%頑張っているよね』

                 里母AH

  時がたつのは早いものです。あっという間の13年間でした。

 

 里親認定を受け最初に紹介されたのがSさんでした。「18歳になるまでの13年間お願いします。そしてその後も実家のようにたまに里帰りで帰れる居場所として長く関係を持ってもらえたらと思っています。」というのが児相からのお話でした。私と一緒にその話を聞いていた里父が「13年もいきているかなあ。」とつぶやいていたのがおかしかったです。一緒に生活するようになってからは、1日24時間をどのように使うといいかを常に考え、工夫しながら過ごしていたように思います。何しろあなたはゆっくりさんで、人が40分でやることを3時間もかける人だったから。小学校時代の勉強は里母の私が、中学校は私が病気になったこともあって、里父が勤務時間を変えてまであなたに付き合い、無事高校に入学。高校もあなたに付き合うことになるのかなあと思っていたら、なんと自分の力だけで推薦の成績を勝ち取り、今年短大へ。少しずつ自分でやれることが増えてきて大人への階段を上がっていくような気がしています。短大は保育科なので高校生活と変わらないスケジュールで忙しく、ぶつくさぼやきながら出かけるあなたを送り出しながら、120%頑張っているよねと思うこの頃です。短大を卒業したら就職。それに慣れて落ち着いたら独立かな?少しずつ大人に成長するあなたを楽しみながら応援しています。

 

『十年間本当にお世話になりました』 卒業生K君

 

M先生、園長先生、

 僕を十年と七ヶ月間育ててくれてありがとうございました。

 小学二年生の時にマリ先生と会い、大濠公園などに連れていってもらい、二回目で、「もう児相には帰らない」と言い、一週間後には、マリ先生の家で暮らすこととなりました。

 小学生の時は毎日ワークを見てもらい、スパルタ教育を受けたことでテストでは毎回高得点を取ることが出来ました。

 中学一年生では、塾に行っていたものの勉強は全くせず成績は最低になりました。

 中学二年生で、夏休みの宿題をまったくしておらず、数学のテストの点数が10点台であることもバレた為、夏休みの間、毎日のように(マリ先生の)保育園へ行き、数学を教えてもらったお陰で、テストの点数は七十点台となり、偏差値も二十以上、上がりました。

 しかし、学校をサボって遊びに行っていたことなどがバレ、大変なことになりました。

 中学三年生でも学校をサボり、それがバレ、家に先生たちが来るなど、マリ先生にも園長先生にも大変迷惑かけました。しかし、成績は安定し、行きたかった公立高校はずっとA判定で、滑り止めのであった私立高校はB-C判定でした。しかし、美術の評定や数学の評定などが悪く、私立高校は落ちると思われていたものの合格し、公立高校は合格することはできませんでした。今の高校は生徒数が多い為、生徒一人一人に目が配られないんじゃないかとマリ先生が心配していたものの、三年間お世話になった担任の先生がとても良い先生で、自由にさせてもらったおかげでとても楽しい高校生活を送ることができました。高一の時は、停学になってしまい、マリ先生に学校に来てもらい、一緒に謝ってもらい、停学期間中は、反省ノートの保護者の頁を毎日一ページ以上書いてもらうなど本当に迷惑を掛けました。高二は問題を起こせず、毎日朝六時に行き、夜9時半くらいに帰ってくる生活を送りました。

 しかし、高三の夏に世界史がやばいという事に気が付き、また保育園に通い世界史のワークを毎日コピーしてもらい、それを解くというのを中学三年の時と同様、園長先生に勉強を手伝ってもらい、偏差値を上げることが出来ました。

 しかし英語の点数などを上げることができず、前期入試は完敗したため、大学進学をあきらめかけましたが、園長先生やマリ先生に励まされて、後期試験をしっかりと受ける気になり、昨日、後期試験が終わりました。東京の大学に進学するつもりなので、三月二十一日引越しをします。

 十年間本当にお世話になりました。マリ先生以外の家に行っていたら全く勉強せず、遊びほうけ、高校にも行っていなかったかもしれません。

 本当にありがとうございました。たまには遊びにいきます。

平成三十一年三月九日 K

 

『あなたと出会えてよかった』   里母AH

 

K君へ

 早いものであなたと出会ってから十年が過ぎました。本当に色々なことがありました。その間、児相にも学校にもたくさんお世話になりました。

 小学生の貴方はドッジボールが苦手で、せっかく計算ドリルが終わった人だけのご褒美としてクラスでドッジボールの試合が計画されたのに、「ぼく、女の子達のグループでやっていい?」と担任の先生に言ったら「うちには、おかまはいません。」と言われたと言ってため息をついていましたね。

 中学生の貴方は、私になりすまして学校に欠席の電話をかけ、さぼり、後でばれて大騒ぎになり、常習犯としてマークされていました。

 高校入学間もない頃、友達にいたずらをして停学処分にもなりました。これから先どうなることやら、無事に卒業できるのかしらと思ったりもしました。ところが、その後は、勉強はさておき、毎日朝は自分で起きて6時には学校に行く。夜8時半まで学校に残り9時半に帰宅。これが2年続きました。「学校大好き!友達大好き!」の2年間で、それを見ている私も幸せな気持ちになりました。

 十年間、色々あったけど楽しかった。あなたと出会えてよかった。私の人生を充実したものにしてくれた大切な十年間でした。ありがとう!K。

 4月からは、福岡からは少し離れた東京に行ってしまうけど会おうと思ったら会える距離だし、ママとM、R君と新しい生活を楽しんで下さい。新天地で成長するあなたに期待しています。元気でね。

平成31年3月9日

 

『「ある、ある」みたいな話とかを楽しくできた』  

           こぷろ(福岡ユースの会)Mさん

 

巣立ち、おめでとうございます。私は9年前にここを卒業しました。里親さんのところで短大を出るまで過ごし、それから里親さんの家を出て就職したのですが、自立して就職しては見たものの、里親さんの家に帰りたいけど帰れないみたいな自分がいて、なんかこう自分のことがうまく整理できていないとか、もやもやしている時期が長く続いていたんですね。そんな時に、何年か前に卒業した先輩に会ってお話しした時に、なんかこう、「うまく言えないけど分かる」とか「ある、ある」みたいな話とかを楽しくできたことが、私の中で結構、思い出になっていて、そういうご飯を食べながら気軽にいろんな話ができる、そんな会が出来たらいいなと言うのがあって、こんな会ができました。できれば参加してみさい。巣立ち、おめでとうございます。

 

『子どもの自立と家族支援の必要性―社会的養護の立場から』

                          里母AH

今、私の家には、6人の子どもたちがいて、ファミリーホームをしています。中3、中2、中1、小5、小4、小2の6人でこの子たちは、もう3年近く同じメンバーで過ごしていますし、あと3年はこのままの可能性が高いのでかなり家族的な関係になるだろうと思います。  

 

現在、福岡市での里親家庭にいる発達障害や虐待を受けた子どもの割合は約60%、ファミリーホームでは80%と言われていますが、我が家でも、ADHDと虐待経験を併せ持っている子が2人、それに学習障害も重なっている子が1人、激しい虐待を受け、ADHDのAD的な行動をする子が2人、超未熟児だったことで学習面、運動面にかなりの遅れがある子が1人で、6人全員が何らかのハンデーを持っています。ですからその分、環境から来る影響を受けやすく、一人がハイテンションになると伝染してみんながハイテンションになり、なかなか元の落ち着いた雰囲気に戻りにくかったり、集中力が長続きしにくいなどの傾向があります。

 

そんな子供たちですが、小学生の時は公文のドリルや宿題のドリルを多めにすること、担任の先生との情報の共有や連携で学習面や学校生活をサポートしてきました。小学校では、どの学年でも、音読、漢字ドリル、計算ドリルが宿題の定番になっているので家庭学習も進めやすく何か分からないことがあったり、問題が生じたら担任の先生に相談することでほとんど解決できました。しかし、中学校はそう簡単ではありませんでした。小学校と中学校では、子どものおかれた環境が相当違うということを後で気がつきました。例えば、小学校は、1学年100人程度で3クラス。毎年、クラス替えをするので自然に学年みんな顔見知りになります。卒業の年は、自分たちが最上級生で後は自分たちより年下ばかり。それが中学校になると、まず二つの小学校が一つの中学校に行くのでいきなり大人数で半分以上知らない人。周りは、自分たちより大きい人ばかり。雰囲気も、明るい楽しい雰囲気から少し重苦しい大人の雰囲気に。そして先生も、全ての教科を担任が一人で受け持つ小学校に比べ、中学校は科目ごとに先生が変わるので担任はいていないようなもの。特にADHDの傾向がある子は、この変化になじみにくく大変らしいとある小児科の先生が言っていました。

 

我が家でも、今、中3の子がそうでした。入学してから1年半、落ち着かない日々を過ごしました。気分がいつもふわふわしていて勉強にも集中しません。最初は、慣れていないからかなと思い見守っていましたがいつまでたっても変わりません。担任の先生に尋ねてもはっきりしない。勉強はしないから成績は下がってくる。塾に通い始めましたが、成績は下がる一方。そのうちだんだん素行も悪くなって、うそはつく、学校はさぼる。提出物は出さない。私の財布からお金を抜き取る。私には、この子どもの変わり様が理解できませんでした。小学校の時は成績も真ん中より上だったし、生活も落ち着いていました。ADHDはあったものの、あまり気になるようなことはなかったのです。1年がたち、2年生になってからも相変わらずでした。昨年のことですが、私はその時期、病気治療中で寝ていることも多かったので私だけでは限界を感じ、夫や児童相談所に相談しました。一時保護も検討されました。夏休みの中ほどのことです。里父である夫が中学校とそれまで通っていた塾に出かけ、先生たちからの正確な情報をもらいました。中学校では、夏休みの宿題の量が子どもの言っていた分の4倍近くあったこと。2学期の初めには、その宿題の中からテストがあること。塾では、さぼりがちで宿題もしてこないので困った存在であること、別の塾を捜すとしたら個人がされていて先生の移動がない小さな塾の方が望ましいのではないか、など。それから2週間。夫はこの子を職場に連れて行き、そこで宿題と勉強を見ました。毎日、4~5時間。問題を解いている横で仕事をし、会議などで横に居れない時はそこにいる事務員や事務室に出入りする人たちに協力をお願いして声かけをしてもらったそうです。最初は渋っていた子どもも、だんだん慣れて平気になり、3時頃勉強が終わった後、図書館やバス停に送ってもらったことを嬉しそうに話してくれたり、夏休みの終わり頃には、「僕、おとなになったら、ここに就職しようかな。」とか言うようになりました。その頃でしょうか、子どもの顔つきや会話が前のように人懐っこくかわいらしく感じられるようになったのは。何とか、夏休みの宿題が終わり、新しい塾も決まって、2学期が始まりました。新しい塾は家から自転車で10分の所で、これまでのことを全部話し、何でも伝えていただくようにお願いしました。それから、1か月たったある日、その子が興奮して学校から帰ってきました。手に1枚の用紙を持っています。「見て!」数学の答案用紙です。「79点。すごかろう!」ついこの間まで19点しか取れなかった苦手な科目でした。「すごいやん!」「うん、すぐにファックスせな!」そう言って、子どもは夫の職場にその用紙をファックスしていました。それから、1年、この間のテストでは「91点」。また、ファックスを送っていました。点の取り方や勉強の仕方がわかったそうです。今は、何とか高校にも行けそうだし、うそやさぼりもなくなって将来の話なんかもするようになってきたのでほっとしていますが、あの時は何故あんなになったのか今でもキツネにつままれたような気分です。我が家は3人続けて一つ違いなので、今では中学生が3人になり、夕食時にはその3人で共通の話題である中学校の先生、友達、行事の話やすきなテレビの話などを楽しそうにしています。その光景を見ていると、一人だけ先に中学生になり、共通の話題もなく島流しにあったような気分だったのかなとも推測したりします。最近、実の弟が勉強を渋っていると、横から「勉強はしとった方がいいぞ。おれも中1の時、もう少ししとったらよかったって、今、後悔しとうもん。」とつぶやいていました。「大丈夫!遅くはないって。今からでも頑張れば十分間に合うよ。」と横から口をはさみながら、彼がこんな発言をするようになったことを幸せに感じている今日この頃です。

 

ところで、自立と言うと経済力、経済力というと就職が頭に浮かびます。これまでの里子の中に、高3の5月の末に措置され、奨学金を受けて大学進学を果たし、今現在、乳児院に勤めている子がいますが、この子の場合、まず学習面は優秀でしたし社会性も問題ありませんでした。措置された当初は疲れ果てていたのでしょう。里親側からみると頼りなく「大丈夫?」と思うことも多々ありましたが、ハンデーはないし、授業や卒論、就職に対しても、とても真しだったので自立に関しては全く心配しませんでした。

 

でも、今いる6人の中には心配な子もいます。こだわりが強く、興味のあることしかしようとしない子。すぐ切れ、暴力的になる子。学習障害があり、勉強したことが記憶に残りにくい子など。こんな子たちには、例え希望した所へ就職できたとしてもそこでの人間関係をうまくやっていけるか、与えられた仕事を根気よく続けられるか、何かのきっかけで投げ出してしまわないか、心配が頭をよぎります。どんなふうに関わったら自立につながるのか・・・。今の私には、これと言った明解答はありません。ただ、いつもそばにいて、「大丈夫」と励まして、困ったことが起きた時には一緒にもがいて、今やった方がいいことをコツコツとやる。この毎日の生活の向こう側に何か自立につながるものがあると信じたいと思っています。我が家では、小学生は14畳の部屋にベッドを3台並べて私も一緒に寝ているのですが、中学生も夜遅く塾から帰ってきたら、お忍びでベッドにもぐりこんできて「ハグして。」とか、一しきりおしゃべりをしてから自分の部屋に戻っていきます。いつまで続くかわからないけどこんな時間が大切なのかなと思いつつつき合っているところです。 

 

子どもたちは、あっという間に育ちます。自立したらこんな日を懐かしむようにもなるでしょう。誰かが言っていました。子育ては、編み物と一緒。一針一針心をこめて丁寧に、編みこぼしがないように。これからも1日1日を大切に、楽しみながら子どもたちとの生活を過ごしたいと思います。 

 

さて、実親の話をします。今いる六人の子どもたちの中で実親との交流があったのは、一組だけです。そちらはもともと1~2年で引き取ると聞いていました。それが今に至っているのは、子どもの方が躊躇したからです。どの実親さんもそうでしょうが、それぞれ色々な事情があり、居場所や家族構成も変わっていたりしてそこも含めて子どもは、どこに自分の居場所を決めた方がいいか安心安定があるのかを考えます。また、里親家庭でこれまでつきあってきた友達や親しい大人とのつながりも考えるでしょう。入学などの節目の時期に、全てを考慮して子どもは居場所を決めてきました。それが大事だと思います。里親家庭に来るまでに子どもたちは、散々大人に振り回され、もっとも大切な時期に、最も幸せであるはずの時期に大変な重荷を背負わされています。幼児には難しいかもしれませんが、小学生以上であれば自分で将来を選ぶ力を子どもたちはつけるべきで、おとなはもっとそれを尊重してしっかり考えさせ選ばせるべきだと思います。振り回されるのではなく、先を見通して、今、何を選んだほうがいいのかどうしたいのか判断する力を育てることが大事です。

 

「実親との再統合」は理想であり、掲げるべき目標かもしれません。でも、一方でおとなは、なかなか変わりにくいものです。

 

親しい里親さんの所の再統合の話をします。その子は2歳半で里親家庭に預けられ、4年半そこで育ち、小学二年生になる四月に母親の希望で再統合になりました。準備期間は、3~4か月でその内容は、週末に一日、実親家庭で過ごすこと。その日は、毎回、外食だったりお出かけだったり、パーティーのような日々だったそうです。子どもはそんな待遇や母親に大満足。ずっとそんな日が続くと思っていたのでしょう。しかし、当然ですが、実際一緒に生活し始めると毎日パーティーというわけにはいきません。再統合されて何ヶ月かが経った後、「やっぱり里親さんの所のほうがよかった。里親さんの所に戻りたい。」と言い出しても時遅し。この子の場合は引っ越しで音信不通になり、二年たった今年の夏休み。急に親子が現れたかと思ったら育てられないので預かってほしいと言って置いていかれたそうです。二年の間に両親は離婚し、下の妹は父親に引き取られていました。母親は、夜、仕事をするようになり、それが面白くなって子どもは放ったらかし。さしあたって夏休みの間ということで預かることにしたものの八月の終わりになっても何の連絡も来ない。子どもに案内してもらって家に行ってみると母親は寝ていて子どもへの心配も関心も全くなし。その上、おばさんの家族が引っ越してきていて従兄弟たちから「何で帰ってきたと。」と言われる有り様。せめてそれなら学校の転校手続きでもしてくれれば里親さんが預かってもいいと言っているのにそれはしない。実親さんの家から里親さんの家までラッシュの時間には片道1時間弱かかり毎日送っていくわけにもいかないのでとりあえず、月曜日から金曜日は実親家庭から学校に行き、金曜日の夕方から日曜日の夜まで里親家庭で過ごしていました。その間も実親家庭では料金を払ってないので水は止まる、ガスは止まる、でお風呂にも入れず、トイレはコンビニ、食事はある時ある物を食べるだけだったそうです。そして、2週間前、夜中の12時、従兄弟から金属バットで殴られそうになって里親さん宅にタクシーで逃げ込み、今現在は児童相談所に一時保護されています。これが現実の「再統合」の一例です。「再統合」に向かうに当たっての準備の進め方もアフターケアも雑で実にお粗末です。「再統合」という高い理想に向かうのなら、それに見合った内容のあるプログラムを進めていただきたい。そうでないと、里親は「再統合」を快く受け入れ、子どもとともに喜ぶことはできません。内容のあるプログラム。それは実親家庭にもどった後も、里親家庭にいた時と同じかそれ以上に子ども自身が自分の将来に向かって可能な夢と希望を持てる充実した生活の保障であり、それこそが子どもの最善の利益なのではないでしょうか。そして、それがきちんとなされているのかの確認を、進めてきた行政はせめて、年に1~2回、十八歳まで行なって、それに必要な支援をしていくことこそ「実親支援」であり、本来の「再統合」ではないかと思うのですが・・・。「連鎖」という言葉があります。悪い連鎖は断ち切らなければなりません。「再統合」は、実親の希望でただ元のさやに戻すというのではなく、悪い連鎖に決してならない「希望ある家族の姿」が、支援に寄ってはっきりと見えてきたときにこそ行われるべきものだと思います。子どもの未来がかかっているのですから。