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いろいろ学んで賢く成長していきたい  卒業生A.Mさん

 

Dear N&K

今まで愛情深く育ててくれてありがとう♡

おかげで高校生活無事終わりを迎えることができました。色々あって沢山悩ませたり、迷惑かけてごめんね。こんなに楽しく高校生活を送れているのは、自分の努力だけじゃなくて、みんなの支えがあってこそだと思うけん、本当にありがとう♡♡

これからも多々迷惑かけると思うけど、いろいろ学んで賢く成長していきたいので、見守ってくれると、嬉しいです!!まだ17年しか生まれてから立ってないけど、自分なりには立派に成長しているつもりだけど、まだまだ見えてないところもいっぱいあると思うから、視野を広げてこれからの人生見つめあっていきたいと思います。

 

心の根に力を入れて頑張ってください  里父N&里母K

 

A.Mへ

小学校二年生から我が家の子どもとして生活して十年の歳月を過ごしました。小学校、中学校、高等学校に進みました。しかし頭髪がはげるという悩みをかかえていました。これは本人しか分からないものだけに、どのように対応したらよいか親も共に悩みました。しかしそれを超える事が出来ず自主退学しました。このままでは将来を見失ってしまうと幾つか見学もしましたね。最後にこのK高校に一年の十月から編入させていただきました。普通高校と違い、働きながら学ぶということでしたので、自分でタウンページからY社に雇用されました。不思議とこの会社は松崎に移る前、昭和五十六年頃から関わっていましたので、意味ある所と思いもあって一日も休むことなく、従業員のおばさん達からも可愛がってもらっていました。だけどコロナの関係で退社となりました。しかしこの学校を卒業していよいよ保育士を目指してJ短大に進みます。これまでの色々な経験は肥やしになります。心の根に力を入れて頑張ってください。

令和三年三月七日

 

『人生はあっという間に過ぎるので後悔のないように』 

               卒業生Sさん

 小学3年生の終わりに、ふくふくホームに来てもうここから旅立つ時が来ました。小学生の時本当に学校に行きたくないと心の底から思っていたけど、卒業式まで無事に行けることが出来ました。また中学生になると少しだけ不登校になってしまい、毎朝、親とけんかしながら朝を過ごしていました。行ったぶりをしたり、ぐるぐる遊びまわったりなど、本当にめいわくばっかりかけていたのを覚えています。けれど、小学校、中学校も本当にすぐ終わりました。そして高校です。初め遊びまわっていてろくに学校に行っていなかったのに、3年間同じクラスの自分の担任のN先生に出会ったから今変れたって心からそう思っています。本当に頑張って良かったと思ってます。

 あと、ここからは自分の自己満足になってしまう話ですけど、今住んでいるふくふくホームと言う所に来てたくさんの出会いがあり、また別れがあり、前住んでいた環境とはものすごくかけはなれていて、毎日が本当に充実していました。人生はあっという間に過ぎるので後悔のないように日々を過ごしたいです。

 4月から新たな新生活が始まり、全て1人でしないといけないけれど、自分の力を信じ、また、夢に向かって全力で勉強したいです。最後に一番感動した言葉を皆におくりたいと思います。

 人生、「人の縁を切る」という覚悟を持つことは、とても大事なこと。長い付き合いとか、親子とか、情にしばられて、苦しみ続ける必要がない。

 もし、本物の縁があるなら、またつながる。苦しくなるほど人との縁を守らなくてもいい。もし、再びつながる縁ならばその縁を大切にすればいい。以上でおわります。

 9年間本当にありがとうございました。学んだことを生かして、毎日を過ごしていきます。

 

『保育士になり、可愛い園児を育てる日を楽しみにしてます』 

          里母SS

Sちゃんへ

 Sちゃんが小学校4年生になる頃、2才下の妹と2人でわが家に来ました。来た頃は、私よりも身長も低く、かわいかったのですが、今では体格も見られての通り、こんなにみごとに成長しました。

 一番記憶に残っているのは、4年生で「2分の1成人式」のときに将来の夢を語ってくれました。

 それには「私は事情があって、今は里親のSSさんところで育てられてます。ファミリホームと言って6人迄育てられます。私も自分が育てられてるように、里親をしたいと思います。なぜかというと、そういう子どもの気持ちは、私が一番わかってあげられるからです。」と。

 その夢を語りながら、中学校では不登校の時期もあり、専願の高校も入試の当日、トイレに入り込んでカギをかけあけず、わざと遅刻して不合格となりました。

 パラマの第一薬大付属高校に入学して、保育士を目指して、2年生からバイトも頑張り、短大に推薦を頂きみごと合格しました。家から通学するのかと思ってたら、一人暮らして「自分をためして妹の為にも頑張る」というので、それなら学校の寮に入って2年生から一人暮らしをしたらどうかも話しましたが、自分の気持ちを負けませんでした。

 だから、私達親は2年間短大で、しっかり勉強して保育士になり、可愛い園児を育てる日を楽しみにしてます。時には抜きうちに見に行きますヨ。

 頑張って下さい。

平成31年3月9日 父母より

 

『音楽は国境を越えて世界と繋がる』

              ~~本島鼓笛隊観戦記~~

                            里父SS

                            平成29年8月5日

今年も7月26日から8月4日にかけて我が本島鼓笛隊福岡分隊は小学1年から中学2年生まで12人の子ども達が参加しました。合宿地の本島は香川県丸亀に属し、神殿は瀬戸大橋が眺望できる風光明美な佇まいに建立されその境内地又、講堂が練習場所です。

今回は教務のため一足先に本島に行き、一旦帰博し再度天理に応援観戦に行ったことからその様子を綴らせていただきました。

26日朝、福岡からマイクロバスで出発して本島に夕方到着する頃は九州、広島、神戸、大阪、東京、北海道各地から続々と子ども達が帰って来ます。皆緊張気味でしたので、「おかえり、よう帰って来たね」と声掛けるとポッと表情が緩みました。

27日、開会式の後、午前は全体の規律訓練が行われます。例えば「レディスタル」は右手を上げる、「アティース」は足を肩幅に広げるなどや右向く左向く、早く、遅く等10幾つもの動きを行進しながら演奏ですので歩きこむ力、周りを視野に入れて自分の位置を確かめる技術が求められ、指導者の1つ1つの号令に全体が統一されます。隊員1人ひとりが“皆も頑張っている”という仲間意識から達成感を求めて次のステップに向かいます。ただ本隊になる前の小学1年~3年生のドリーム隊は体力的にも着いて行けないので別枠で優しく教えられます。午後からパート別でフアイフ、アコーデイオン、ベル、ピッコロ、ドラム、鍵盤ハーモニカそしてフラグ(旗振り)などの練習です。

29日は待望のレクレーションの海水浴で思い切り遊び友達の輪も広がります。

こうして8月1日天理に入り2日朝詰所前で隊旗掲揚から1日が始まりグランドで練習します。夕方には隊旗後納して夕食後は各部屋のお掃除と点呼して就寝します。

2日はお楽しみ行事にも参加し、夜は仕上げを含めて前夜祭です。

本隊が舞台雛段でフアイフのT君、Y君と、Yちゃん、K君、R君、アコーデイオンのRさんが演奏し、舞台袖ではベルのK君がステックで鍵盤を軽快に叩きます。舞台フロアーでは華やかな女子のフラグでMさんが確実に演技します。その後可愛いドリーム隊が登場しTくんと,Tくん、Rちゃん、Nちゃんが踊ります。再びフラグが交じって合同演技では拍手の渦が起こります、約1時間総ての曲と技を出し切って終了しました。

3日はいよいよ「こどもおぢばがえり」のメインステージ、「おやさとパレード」です。沿道の両側雛段は何万人の観衆で埋め尽くされ19時30分の打ち上げ花火を合図に、昼間のように照らされたサーチライトの中で、「おやさとパレ-ド」の横断幕パネルの後に「天理高校マーチングバンド」が先頭に次々鼓笛隊、吹奏楽部、無数の電球で彩られた花山車、勇壮な「本島和太鼓」山車などのパレードが続きます。そして終盤に本島鼓笛隊のイーグル(鷲)をシンボルマークとする横断幕を掲げ鼓笛隊員が演奏行進します。隊員全体が1つになり調和し奏でる音楽が夜空に響き渡ります。8日間炎天下で負けず、怯まずこの日のために培った自信に裏打ちされた「本島鼓笛隊」の堂々たる雄姿でした。その結晶が金賞に輝きました。

こうして4日、12人の子ども達は誰一人けが過ちも無く元気よく帰って来ました。

子供たちの感想文では「最初きつかったけど楽しかった、また行きたい」の声に家庭でも、学校でも学べない、得られない体験と感動が今に続く鼓笛隊なのかと感じた鼓笛隊観戦記でした。                   

 

『本島鼓笛隊に参加する』       里父SS

 

平成28年8月5日

本島鼓笛隊では毎年春1週間、夏は10日間鼓笛隊の合宿がある。

当方で鼓笛隊に初めて参加したのは平成22年春小学6年生のA子からであった。

1人で他の隊に交じってマイクロで遠く四国本島に行って元気で帰って来た。

A子は「早く女の子が来てほしい」と言い続けてその念願が叶い姉妹が来た。

中学の入学式の後、各部活の先輩達が勧誘で吹奏楽部から誘われ本島の鼓笛隊で体験したこともあってすんなり入部した。翌23年の春の鼓笛隊に姉妹は「A子ちゃんが行くのなら参加する」と言ってたが部活で不参加になり「部活で鼓笛隊に行けなくなったけどどうする?」と聞くと躊躇なく「行くよ」と言ってくれた。子どもながら毅然とした態度に手を合わせる思いだった。

こうして本千嘉分隊が進発することになって今年で13回目を数える。

この「本島鼓笛隊」は昭和40年に始まり音楽を通して青少年の情操教育の一貫として今夏7月26日創立50周年を迎えた。遠くアメリカ、ハワイ、インドネシアなど海外からもOBやその子供と共に帰って盛大に式典が開かれた。

今回は7月25日に最年少で初参加の小学2年生の男子を含め7人の子ども達が参加した。合宿地の本島は海抜21メートルに建立された神殿境内地で瀬戸大橋が一望できる瀬戸内海に浮かぶ小島である。春は未だ寒き海風で煽られ、夏は炎天下で演奏、規律訓練、隊列組んでのパレード練習。その中でも休憩には指導者はただの兄さんお姉さんになって遊び、夏場は海水浴などで楽しんでいる。今回は直接天理詰所だったので「こどもおぢばがえり」のお楽しみ行事にも参加した。私達夫婦が食堂などで声を掛けると二コっとするだけで隊に戻って行く。あとで聞いたら「目を合わしたら気持ちがだらけるけん」とのこと。正に親の知らない統制と調和の世界である。そして「こどもおぢばがえり」のメイン行事「おやさとパレード」では何万人の観衆を集めライトアップされたなかで堂々と行進し毎年金賞か最優秀賞に輝いている。あの凛々しい面立ちは厳しい練習の中で共に汗して頑張りあった仲間意識と達成感から来るのであろうか。

こうして8月4日元気よくすべての日程を終えて又1つ逞しくなって帰って来た。その様子をそれぞれ感想文に書いてもらったので紹介します。

 

{本島鼓笛隊の感想文}

小学2年男子 『パレードみて たのしかった』

 

小学4年男子 『にんじゃ村にいったとき 水てっぽうでにんじゃをうったのがたのしかったし ふくがびしょびしょになったのが きもちがよかったです 天りプールは5~10分くらいしか あそべなかけど たのしかったです 』

 

小学5年男子 『1番最初は、練習がなれなくてきつかったけど 2,3日

毎日練習がなれて さいごの練習では、もっと練習ができるような心が入ってきました。パレードの時は、足なみがそろいとてもかっこよかったです。おやさとパレードは雨でできなくなったけれどまたらいねんにそなえたいと思う。』

 

小学6年男子 『今年の夏の合宿はこうしんれんしゅうがありました。なにより今年の合宿は天理での合宿で16年ぶりといっていました。パレードではたくさんの人によろこんでもらい 練習のせいかがでてきたと思った』

 

中学1年女子『今年は天理の合宿だったからいつもとちがってたので楽しかったです。夏はパレードに向けてほぼ練習できつかったけど頑張った分休み時間はとても楽しくすごせました。8月に入ってお楽しみ行事もあってとてもよかったです。ピッ―キーステージ・バラエテー179・忍者村・土持ちひのきしん・天理プール・夜パレ(パレード)見学に行った。夜パレは出れなかったのは残念だったけど、オンパレードで一生けん命がんばれたのでよかったです、来年の鼓笛も早く行きたいです』

 

中学1年女子『31班で9人だったのでびっくりした。いつもは2班あるのにとてもせまかった。パレードはでれなくてかなしかった。コテキの人数が少なくなってきているので 私がEグルの時は150はこえてほしいです。

 

中学1年女子『れんしゅうきつかったけど、いいパレードができた。友達とも仲よくできたし。楽しかった。アコーデオンも思った以上にだいじょうぶやった また行きたいと思った。あと おやさとパレードは雨でできなかったけど、こうかいはなかった これからもがんばる』

 

『Rちゃんのこと』    里父SS

 

我がふくふくホームは養育の一貫として春は1週間、夏は10日間、香川県丸亀市本島で鼓笛隊の合宿に参加している。本島は瀬戸内海に浮かぶ小島で本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が海空を区切るように白弧を描き無類の景観を誇っている。神殿は海抜21mに建立され子供達はその神苑で連日練習する。春先は潮風に晒され未だ寒く、夏は灼熱の太陽を浴びて規律訓練、行進練習、ドリル演奏を繰り返す。朝は6時15分起床。家では睡魔に任せている時であろう。しかし子供達は弱音を吐くことはない。それは、「こどもおぢばがえり」において何万人の観衆を集める「夜のおやさとパレード」で悠々150人の連隊が1つになり演奏行進する高揚感と、達成感があるからだろうか。当鼓笛隊は45年の歴史を有し少年の資質を高め、忍耐力、チームワークによる心の育成を担っている。こうして去年は7月26日~8月4日にかけ10人の子供達が参加して見事金賞を獲得した。皆真っ黒になり感動を胸に帰って来た。次の日私達夫婦はRちゃんを一人ソフアーに座らせた。「何?」と大きな瞳で見つめる。『Rちゃん、お家に帰れるようになったよ、Rちゃんがここで一生懸命頑張ったからだよ』と言うと、ハッと目に涙を溜め、『嬉しい、でも悲しい』と妻の膝に暫し顔を埋めた。思えば1年5ヶ月我子のように1日でも長くここに居てほしいと願いながら1カ月前、児相から母親の引き取る意志を知らされて、これが本当だと言い聞かせての日々だった。Rちゃんは委託されてすぐ帰るという状況で来たので、「家に帰りたい」とよく泣いた。しかし3人の娘達はそれを甘えとして許さない。特にMちゃんからは自分が習った通りに、マナーや決まり事をいちいち教え込んだ。うまくそれができないと叱られ又泣いた。しかし何時の日か3人娘と姉妹のように我家の子供になった。名前のように凛として折り目正しく何を教えてもすぐ覚えた。服装はお人形さんのように可愛らしい。毎月10日のお祭りには上の3人に倣い授業を1時限だけ受け、お手伝いに励み祭儀の「琴」も見事に弾きこなした。「今日は誰が来ると?」と人が沢山来るのを誰よりも喜んだ。過る中、平成22年フアミリーホームの認定を受け5月16日に、「ふくふくホーム」の開所式を行い小池前児童相談所係長、職員,町内会長を含めて30人近い方に寄って頂いた。写真係は里子第1号のK君である。4人のふくふく娘は神殿をバックに透けるようなレースに花や折り紙で装飾し、振付も密かに練習してCDに合わせて踊って拍手喝采を浴びた。しかしこの子達とはいつか別れが来る。それだけにその日その時のふれあいの中で愛着がどこまで深められ、育っているだろうと自問自答する。けれども親と必要とされあどけない会話、笑い声、廊下を走る足音で育てる楽しさが先行される。Rちゃんが帰ることが分かってMちゃんは「Rちゃんこれ着る?」と自分の服を渡しながら「帰らないで」と泣いた。いよいよ母親が迎えに来るお祭りの朝Rちゃんが、『会長さんお手紙書いた、後で読んでね』と家内にも同じようにきちんと折り畳んだ手紙を持ってきた。そして常のように勤め食事後、皆から別れを惜しまれながら母と共に車に乗った。途中「寄る所がある」と道端に止めると不意に「会長さん」と首に手を回し、そして「さよなら」と手を振る普通の母子に還っていた。後片付けが済んで手紙を開いた。『かいちょうさん、おばちゃん1年間ほんとうにありがとう。またもしも里親にいくようになったらここにくるね。またどこかであえるかもしれないね、わすれないからね、だいすき Rより』とたどたどしく書いてある。そこには病弱な母親に真に縋れない不安が滲んでいた。聞けば、熱くとも、寒くともあの小さな体で4,50分の越境通学しているという。食生活は如何だろうか。突然「お母さんが倒れてもの言わない」と電話で夜中に飛んで行くこと暫だった。さて今年も夏の鼓笛も近づき「おとまり会」には皆と同じように、遊びやゲームで弾けるように笑い何時ものRちゃんになった。翌朝、おつとめ後にバス停掃除をし、鼓笛練習の後、「砂絵」の制作を等もして解散した。Rちゃんを送るのは夕暮れになった。車の中で『会長さん今度の鼓笛はいつ?』、『今月の26日から数えて1ヶ月先の7月26日だよ」、「じゃあ、あと何日?』、と頭と両手の指で数えながら、『Rは1日でも早く26日が来るように神様にお願いするから会長さんもお願いしてねM、Sちゃんにもお手紙を書くように言ってね』、と目に涙を溜め荷物を担ぎ、お菓子や食物の袋を提げて、車が角を曲がるまで手を振っていた。しかし(その頃は)母親が入院し姉妹2人だけの生活で食事のみ祖母の所に行っていたという。さて願いが叶って鼓笛出発の4日前に迎えに行き、そして26日から出発し10日間を踏破した9人の小さな兵士達が帰ってきた。それぞれの感想文には、『楽しかった』、『親里パレードでは人に喜びをあたえて感動させるようなこうしんをすることができるようにがんばりました』、『また本島に行って「がまん」や「じしん」をつけたいです』などと共に助けあった姿がそのまま映し出されていた。

このコテキで得たものはきっと将来の輝きになることと、次の春の合宿を心待ちにしているところであります。

 

『R君M君の卒業式に贈るお祝いの言葉』  里父SS

 

君達は中学三年の夏から我が家に来ました。

うだるような暑い日だったのでよく覚えています。

いつの間にか四年近く経っていたんですね。

里親と言うのは何の遠慮気兼なく話し合える親子になろうと努力します。

ところが、小さい子だったら「お父さん、お母さん」とすぐ懐いてくるけど

君達のように大きいと育った環境が違うし、

自分を持っているから難しかったね。

M君は生き物が好きで部屋のタンスの中にカブト虫の幼虫を飼ったり、

押入れの中で小鳥を飼ってバタバタ暴れて羽や餌が散らばったり・・・。

R君は月に二~三回自転車で一時間もかかる新聞集配所のお兄ちゃんの所へ行って徹夜でゲーム三昧してクタクタで帰って来て本当に心配しました。

そんな君達に一つ関心したのは、

高校三年間弁当箱に何も残さず空で帰って来た事です。

作る者にとってこんなに嬉しい事はありません。

八人の大家族で身体を使って良い事しようと日課やルールを決めましたね。

当番で夕食後のお茶碗洗いとお風呂掃除、

第一日曜の朝はバス停掃除、又町内会の一斉掃除、

秋には桜の枯葉が散るので早朝の道路掃除・・・。

今、色んな事が走馬灯のように浮かんできますが、

後数日で君達が巣立つのが信じられません。

最後に君達にはなむけの言葉を贈ります。

かつてアメリカの大富豪と呼ばれた鉄銅王

アンドリューカーネギは貧しい職工の子として生まれ、

十二歳の時には既に親を助けたい一心から製綿所で働いていました。

そのカーネギは

「私が成功したのは決してマジックやカラクリを使ったのではない、

        ただ与えられた仕事を忠実にやっただけだ」と言っています。

社会は思った以上に厳しいし、職場で嫌な時があるかもしれません。

そんな時は、この言葉を思い出して頑張ってください。

皆で応援しています。

いつか元気な姿を見せて後輩の為にアドバイスしてくれたらなと思います。

 

『「いい暮らし」と「いい人生」は一見同じ』 里父SS

 

  「いい暮らし」と「いい人生」は一見同じようですが、本質は違うように思います。いいものを食べ、いい服を着て、立派な家に住み、ときには海外旅行で楽しむ。これは誰も羨みます。しかしそれが物やお金を頼りであったなら、物量が尽きたら価値観を見失います。半面、人を対象にして「誰々のために」という生き方なら、人に生かされ、環境に恵まれた豊かな人生になると思います。

 スペインの諺に「一日だけ幸せでいたいなら床屋に行け。一週間だけ幸せでいたいなら車を買え。一ヶ月だけ幸せでいたいなら結婚をしろ。一年だけで幸せでいたいなら家を買え。一生幸せでいたいなら正直でいることだ」とあります。今すべきことは手抜き先送りしないで、心と体を十分に使い、時間や環境に合わせた「成る程の人」をめざしたいものです。

 教祖は「働くとははたを楽させること」と仰せられました。主人、奥さん、社長、社員とさまざまに相対する人のために生きること。それがいい人生だと思います。

 今日もやすらかにお過ごしください。

 

『冬来たりなば春遠からじ』 里父SS

 

 今年は子年です。十二支の干支からすれば最初にあたります。方角は北で、丑寅(東北)と続き季節は冬です。人生においても、春のうららかさ、夏の汗、秋の収穫、そして冬の厳しさを経ることになります。しかしどんなに身が縮む寒さでもそこに大きな意味があるように思います。「冬来たりなば春遠からじ」の訓言には、その寒さを越えれば必ず春が訪れると勇気を与えてくれます。私方の裏手には桜が林立していますが、今は木の葉一枚もなく枯れ木のように寒空に佇んでいます。ふと見ると小枝にはもう堅い花芽をつけて春を待っています。自然の営みにそっと合わせているのに気付き、確かに応えられる「何か偉大なもの」のお計らいに温かさを感じました。

 

 おふでさきでは「いまのみちいかなみちでもなけくなよ さきのほんみちたのしゆでいよ」と仰せられました。どんななかでも今を踏みしめ先を見つめ、明るく歩むうちにやがて「なるほどの道」に到達すると信じます。

 

 「さあこれからや」この心に春は間近です。元気で頑張りましょう。

 

『いいまさか』 里父SS

 

 人生山あり谷ありとよく言います。順調にいっているときは「上り坂」、何をやってもうまくいかないときは「下り坂」とも言います。

 ところが人生はそう判で押したように単純なものではないように思います。

 それは上り坂と下り坂の間にもう一つ「真坂(まさか)」という坂があるといわれます。

 「まさかこんなことになろうとは」と嘆くこともあれば、「まさかこんな夢がかなうとは」と歓喜することもあります。人生はこの「真坂」という現象で一喜一憂していることが多いと思います。

 では「いいまさか」に出会うにはどうしたらいいでしょうか?それはご神言に「よきたねまけば、よき芽がふく -中略- あんじはいらんと大きい心もちてりをおさめ」(明治二十一年六月)とありますように、自分の仕事立場を超えて、陰ながら、人に社会に、親や妻、夫に尽くす誠の心が「種」となって、忘れていても芽が出て真実を結ぶことと思います。

 今日も、「いいまさか」の種を蒔きませんか?

 

『生命は「水なし」では今日ありません』  里父SS

 

 待望の雨が降ってきました。「与えは天にあり」で、思っても願っても人間の思いは届きませんが、嫌だなと思う長雨も、十日は続かないものです。太古からの歴史、文化、生命は「水なし」では今日ありません。世の中で宝と評価されるもの(例えばダイヤモンド、金、銀、宝石)に比べて質量は小さいけれど、自然界の生命源の水は尽きることのない無限です。またこの世に生命を生み出した原始地球の泥水を、科学者は「生命のスープ」だと言っています。ちなみに胎児を育む羊水は海洋とほぼ同じ成分とのこと。水の勢いを借りて赤ちゃんはオギャーと誕生します。すぐ産湯、そしてお乳です。

 かつてアメリカ大統領ケネディは「歯を磨くとき水道の水を止めよう」と国民に訴え、一人ひとりの節水でその年の半年分の水が蓄えられたそうです。

 尽きることのない水を与え、恵み、そして働き「理」こそ無限の親心だと思います。

 今日も「温み、水分五分五分」に調和された健康をありがたく思います。