More Coming Soon~~

 

反面教材ならあります 里母SM

 

AKさんへ、

AKさんの

「真実告知は何回も繰り返して、

 と思っていましたが、

 やっぱり何回もですよね。」

ご質問のきっかけに、

私はちょっとしたタイムスリップの旅をしてきました。

いろいろ思い巡らした結果、

アドバイスとは言えず、反面教材ならあります。

 

かつて私には2人目の娘が居た。

今、高一のYちゃんのお姉ちゃんに当たる存在です。

この子を、養育里親として育てていた。

来た時は、既に小学校1年生なので、特養が出来なかった為です。

時が満ちると、養子縁組する予定でした。

 

この子が来たばっかりのある日、

いきなりこう言った。

「ママが死んだら、私がxxさんの子になろうかなぁ。」と。

 

xxさんとは、隣りに住んでいるご家族。

この子の事が大好だし、この子もxxさんが大好きだった。

(もちろん、xxさん奥さんが

 若くて美人であることはいうまでもなく(苦笑))

 

正直いって、私が、かーーんと来た。

何で他の親を選びなおしたいため、

私に死んでほしいという言い方なんだ!

 

●x△※■◇~~~バババ!!!と返したかった。

でも不思議に、こう答える事ができた。

「ママは死なないよ。

 ママはずっと生き残って、

 最後まで〇〇ちゃんの世話をしたいから。」

 

すると、この子が急に私を抱きしめてきた。

あ~~その時の私、めっちゃテスト合格の気分。。。

 

ですが上記の「美談」は、

たった1つの中間テストに過ぎなかった。

テストされる度に、夫婦が失点をかさね、

とうとう8年後、この子がお家を離れる事を決めた。

あれから5年、この打撃に、私が未だも立ち直ってない。

おそらく一生も立ち直れないでしょう。

 

子どもたちの心境、このような問いかけの意味、

多分、ご本人たちを含めて、わかる人が居ない。

ですがAKさん、はっきり言えるのは、

「テスト」は、終わりがないと思って無難。

小さいころは言葉の形で、大きくなると行動の形で。

私は落第した。AKさんご夫婦はまだまだ奮闘中。

 

いろいろ分からない中、先が見えない中こそ、

私たちの頑張りはなんらかの形で、尊い祈りとなり、

なんらかの形で、子どもを守り続ける力となっている!

こう信じて、「養親」という名の人生を全うしたいものですね。

 

人は学歴や職歴よりも大事なのは「苦歴」 里母SM

 

GotoEatクーポンを沢山持ってる。

期限前に使わないと行けないので、

平日、在宅勤務の後、家族が帰宅前の時間帯に、

1人での外食を楽しみにしている。

先週、散歩を兼ねて焼肉店に行った。

個室で1人が単品2皿に瓶ビール2本も飲めたのは、

よっぼも魂が現実から離れて至福を感じたかったやろうか。

 

帰りの道にローソンに寄った。

本を買う意欲がまったくない私が、

なぜか、本棚の前でうろうろしていた。

そのとき、偶々目に映ったのは

 

「人は学歴や職歴よりも大事なのは「苦歴」」

 

というタイトルの本。

作者は渡辺和子さん。カトリックのシスターなんだ。

 

仏教の僧侶や尼さんの本があたり前に人気となっている今、

キリスト教作家がコンビニから「売れっ子」タイトルが与えられるのがさすが。

私もカトリック信者なので、なんの躊躇もなく本を買った。

渡辺シスターの遺作だった。

読めば読むほど、魂がどんどん吸い込まれていった。

 

実は4年前の秋、私は養育里親として、これまでに当たり前と

思っていた親子の絆を、永遠に失いました。

 

小学校1年生から中学校2年生まで、

8年間養育していた里娘が、私が望まないところで、

我が家を離れました。

 

一瞬にして私の世界がクレーに染まってしまった。

措置解除の原因を知ったときのショック、

背負って行く「親失格」という名に、

50年もシンプルな人生しか生きてこなかった私にとって、

免疫は到底足りてなかった。苦しかった。

 

だが、世の中、想像絶に苦しんでいる方々が沢山居ます。

自分の主張が比べ物にならない程だ。

この「苦しい、でも大した苦しみじゃないかも…」といった

心の葛藤がなお私を苦しめていった。

 

「これでいいよ、苦しんでいいよ。「苦歴」は学歴より大事だよ。」と

シスターが慰めてくれた。

ようやく、私も立派な「履歴書」を書ける人に、

堂々、神さまが愛する弱く貧しい人々の一人になる。

上等上等……

 

お家に着いた頃、マスクがもう涙で濡れてしまっていた。

惨めの涙なのか、ほっとした涙なのか……

 

『娘が学校に教えたがる「一日の振り返り」』 里母SM

 

 中一の娘の学校宿題ノートに「一日の振り返り」欄があります。ひと言日記のような存在です。先月里親会定例会の日に、娘はこう書きました:

「今日は里親会で子どもたちと

 遊べてとても楽しかった。」

 

 自分が里親会に所属していること、そして里親会が楽しかったことを学校に知らせたくなる娘でした。

 

 中学校に上がったら、この子はもう私に定例会に付いて来ないだろうと悟ってました。だから毎回「行く?」と声かける私の気持ちも割と適度。向こうも、はっきり答えようとしなかったが、なぜか毎回私と一緒に定例会に出掛けようとした。

 

 もう13年目。生後七ヶ月から定例会の託児を楽しんできた娘にとって、この月一回の子どもプログラムが実に、生活の一部として根付けているように見えます。私が感無量で託児担当の方に感謝を申し上げたところ、意外な事実を知りなお感無量となりました。なんと、託児スタッフの中に、ここ4年程、毎月のように参加してくれているボランティアの方が居ます。娘はその方ととても仲が良く、毎回その方の近くで遊んだり、色々なお話をしたりしているようです。こうやって、会の里子たちがスタッフさんとの関係が結構できているそうです。また、年上のお姉ちゃんお兄ちゃんが、年下の子の面倒をみることがみんな自然にできていて、日々成長を感じていると言われました。

 

 このたび、娘の「一日の振り返り」を通じて、子どもプログラムを引き受けてくれたNPOの皆さん、そして長年、我が子を見守ってくれたボランティアの皆様への感謝の気もちを会全体で共感できれば幸いです。

 

『オーストラリア Bestmanのお話』          里母SM

 

 何年か前に見た記事です。

 オーストラリアには毎年「Bestman(ベスト国民)」を選ぶコンテストがあります。その年、選ばれたのはある極普通のおじいちゃん。おじいちゃんがやった事も実に極普通。

 

 農夫を定年した後、毎日がヒマでヒマで。偶々おじいちゃんのおうちはある絶壁名所の近く、言わば、日本の「樹海」に似たような観光地だ。すると、おじいちゃんは毎日朝夕、そこへお散歩。妙にうろうろしている人を見かけると、何気なく挨拶する、とにかく声をかける。

「今日はいい天気ですね。」

「ここに来るのに渋滞ない?」

「君、服のセンスがいいね」とか。

嫌われても、うんざり者とされても笑顔を送り続ける。

 

 徐々に心を打ち明けてくれる人も居れば、黙って、その場から立ち去った人も居る。これまでに、180人あまりが、一瞬の無謀を断念でき、生き続けてみようとしました。この人たちがおじいちゃんを「Bestman」に推薦し、お見事国中を感動させました。

 

 私が若い頃、「今日はいい天気ですね。」と人から言われたときは中々の違和感でした。「見ればわかること、なんでわざわざ言う!」と心が呟いていた。だが今では、言いまくるおばちゃんの私……もしかして、「いい天気」かどうかが問題ではなくて、その本質は「元気ですか」と「こころのお天気」を私が聞いているのかもしれません。

 

 挨拶、笑顔は、人の心を温める、人の機嫌をよくする、真っして人の運命を変える力までありますね。周りの人々、子どもたちにさりげなく挨拶と笑顔を送り続けましょう。

 

『見送り』            里母SM

 

下の子Yちゃんは現在小学校四年生、生後七ヶ月で、親子の絆が結ばれました。私と主人が合わせて八ヶ月の間仕事を休み、毎日赤ちゃんに付き合っていました。とうとう赤ちゃんが1歳過ぎたところ、保育園に通い始めました。保育園は主人の通勤道にあり、送り迎えはパパの担当でした。

毎朝私は、なんとも言えない寂しさに覆われていました。とても、保育園に行っちゃう赤ちゃんと離れるのは苦痛だった。自然に自然に、玄関外まで父娘にくっつけようとして、自然に自然に、父娘の姿がマンションの廊下突き当りに消えるまで玄関外で立ち止まっていました。これは、見送り日課の始まりでした。

晴れの日はもちろん、雨の日も、暑い日も、寒い日も・・・

下の子が年少さんのころに、上の子Rちゃんが一年生の身で我が家にやって来ました。私の日課はつい倍になりました。まずはいつもの保育園組の見送りをし、次の見送りは上の子が小学校へ出かける際でした。このパターンは上の子が三年生修了、下の子が保育園卒園まで、三年間も続いていました。

晴れの日はもちろん、雨の日も、暑い日も、寒い日も・・・

とうとう、姉妹とも同じ小学校に通い出し、毎朝一番早く出かけるパパの見送りは、姉妹二人が揃ってするようになりました。次に、姉妹が小学校へ行くとき、私が見送りをしていました。マンション廊下突き当りの曲がり角で自分たちの姿が見えなくなる前に、上の子が振り向いて、手を振ってくれたり、下の子が振り向いて、「ママ大好き」と言ってくれたりするのは、いつも私のその日の一番幸せでした。このパターンは上の子の小学校卒業まで、またも三年間続いていました。晴れの日はもちろん、雨の日も、暑い日も、寒い日も・・・

去年4月、上の子がとうとう中学校に上がりました。陸上部活には早朝の練習があり、今は我が家の中で、お姉ちゃんが一番早く出かけるメンバーとなった。すると、パパはお姉ちゃんの中学校登校見送りをし、妹がパパのお仕事見送りをし、私が妹の小学校登校見送りをする日課に変わってきました。現在に至って我が家のパターンです。

晴れの日はもちろん、雨の日も、暑い日も、寒い日も・・・

毎日、この1分もかからない行動ですが、家族の絆深めに大変役立っています。これからも、どんな見送りのパターンに変わるであろうか、この大いに意義のある家族習慣は、ぜひ続けていきたいと思います。

晴れの日はもちろん、雨の日も、暑い日も、寒い日も♪♪♪

 

『おばちゃんはトトロ?』 ~~お盆里親手記第二話~~

                      里母SM

H君(3歳)とN君(2歳)は実兄弟、

私の9年ぶりのお盆里子でもありました。

とても、人懐こい子で、笑顔がすごく素敵。

二人が同時に笑っているときに、

誰でも一目で「兄弟や!」と叫ぶくらい顔がそっくり♪

さっそく、"本番"のお盆前でも、外出交流を図ってみました。

その日、旦那が仕事で、うちの二姉妹は奈良県合宿に行ったため、

私が一人でした。兄弟を海の中道公園に連れて行ってみた。

二人を一台の公園で借りたベービーカーに乗せて、

観覧車、ちび子広場、ちび子プール、食事を楽しんでいた。

最後に、私たち3人が室内であるちび子広場で、

ちょっとした昼寝をし、施設に戻りました。

炎天下の中、2人で一台のベービーカー。本当に申し訳ないくらい

ちび兄弟は窮屈だろうと思っていたが、ちび兄弟は意外にお利口でした。

ずっと、私と会話をはずみながら、体のきつさを忘れていたようです。

帰りの車で、弟の「N先生」からまた感動のお言葉をいただきました。

私が運転しながら、助手席に座っている弟、

後部席に座っているお兄ちゃんと何気なく会話をしているときに、

弟のN君は急に話題を変えようとしました。

「おばちゃんは、トトロ?トトロ?」

あかちゃん語がさっぱり分からないので、

「そうよ、トトロだよ。デブちゃんやけ・・・」と私が

適度に話に付き合ってみました。

だが、納得できないでしょうか、N君はずっと同じ質問を繰り返していた。

 「トトロ?トトロ・・・あぁ~!サトオヤ?って聞きたいわね。

そうよ、おばちゃんは里親だよ。」と、やっと私が答えきった。

どこから、「里親」って教えてもらったでしょうか?

お盆里親との違いがわかるやろうか・・・と

いろいろ、私が考え込んでいる間、わずか2歳のN君、質問はさらに詳しくなって行った:

「Nの里親?おばちゃんはNの里親?」「そうよ、N君の里親だよ。」と、

何サイクルかこの会話を繰り返した後、N君は急に黙り込んだ。

わくわくドライブ中のN君にしては、珍しい風景です。

カンでしょうか、私は

「そうよ、N君の里親だよ。N君のこと、大好きだから。」と言うと、

N君は「開け」て、「あ、トラック!タクシ~、バス♪」といつもの会話で弾み始めました。

 小さな体、小さな魂、中身は大人以上あるかも・・・

 「三つ子の魂百まで」、真っして人間の性格は、三歳のときは決め手です。

3歳と2歳のちび兄弟は今、その性格形成の真っ最中です。

我が家の存在は、ちび兄弟のこれからのなが~~い人生と比べて、

一瞬の存在にすぎませんが、とにかく、とにかく、

楽しい思い出、愛される思い出をいっぱい積んであげて、

きっといつか、思い出が彼らの心を動かし、

彼らが幸せを探し続ける「原動力」になると信じながら、

少しではありますが、私は頑張ってみたいと思います。

 

『ちびいちびい?』     ~~お盆里親手記第一話~~

                                                  里母SM

H君(3歳)とN君(2歳)は実の兄弟、 

私の9年ぶりのお盆里子でもありす。 

とても、人懐こい子で、2人とも笑顔がすごく素敵です。

さっそく、お盆の前に週末の外泊を図りました。

土曜日は、小3の娘が卒業した保育園の夕涼み会に行き

夕涼み会の後は、隣にある自分たちの所属カトリック教会で、

一家がミサの予定にしていました。

ですが、すごく不安でした。

ミサ中、幼いH君たちがお御堂で走り回ったらどうしよう~~

気軽に喋ったらどうしよう~~ 

でも我が家はミサに行かないといけないなぁ・・・などなどと考えて、

私は夕涼み会を楽しめなかった。

でも不思議不思議、1時間のミサ、2人が小さい体を寄せながら、

一緒にじっとできました!!

私は日曜教会学校の幼稚園生クラス担当です。

今まで、ミサ中、幼児たちのあらゆる「反乱」を見てきた私に取って、

3歳と2歳にして、ありえない穏やかさでした。

ミサ中に限らず、私のうちで何もやることがないとき、

車に乗っているとき、とにかくあばれたら困る場所では、

2人はいつも小さい体を寄せあいながら、じっとしてくれています。

遊んでいいときは、思い切って遊びます。

なんという世話しやすい幼児たちでしょう。                                                

あと一つはもっと不思議。

土曜日、教会から帰宅のとき、旦那の運転がちょっと荒く 

私がたまたま車の内で、首を打ってしまい、

「首が痛い!優しく運転せんね!」と叫んだのです。

翌日日曜日朝、ちび兄弟を連れて車で空港見学に行く途中、

私の隣に座っていた弟のN君が

ずっと「ちびいちびい?ちびいちびい?」と、私に質問してくるのです

あかちゃん語が分からない私は、

何回か適当に解釈して、答えてみましたが、

N君の質問は止まらなかった。

多分、「くびがいたい?と聞きたかったのね。

N君、ありがとう、おばちゃん、もう痛くないよ。」と

やっと私が気づいて答えてあげたら、N君が初めて別の話題に変えた。

前の日、私の首が痛かったことを覚えてくれたのはもちろん不思議ですし、

2歳にして、逆に大人を心配してくれるこの優しさに、

私はとても心を打たれました。たったの2日間ですが、

ちび兄弟より、おそらく私の方がぬくもりをいただきました。

小さな体、小さな魂、中身は大人以上かも・・・

その後、毎回交流するたびに、なんらかの形でちび先生たちに

「学問」を教えて頂いています。

第二話の『おばちゃんはトトロ?』をぜひお楽しみに。

 

『幼児自転車があります』  里母SM

 

と2月バザーコーナー掲示板に書いたら、

すぐにKさんから「ほしい」と、声をかけられました。

翌3月自転車をKさんに渡しました。

補助輪は外され既に1年ほど乗ってない放置状態の自転車は、

本当に役立つのだろうかと、ちょっと心配していました。

でも、日曜日の夜、Kさんからのメールを読んで、ほっとしました。

 

『土曜日に持ち帰って、すぐに、凸凹道で練習していました。

なかなかうまくいきません。

何度転んでも、繰り返し、繰り返し乗っていました。

どうも、それが良かったようです。

補助輪なしで、凸凹道で、という厳しい条件が・・・

翌、日曜日、今度は舗装された幅5メートル、長さ150メートルほどの

直線コース(車が通らない農道)に連れて行って、乗せました。

な、な、なんとしょっぱなから20メートル、50メートルと

倒れないで乗れたのです。本人の喜びようと言ったらありません。

その勢いで今度は、公園の広場に連れて行きました。

狭い広場なので曲線コースになりますが、難なく1周100メートルを

倒れないで回れたのです。

こどもってほんとにすごいですね。

補助輪なしの自転車を譲っていただいたおかげで

彼(R君 6歳)は、一気に乗れるようになったのです。

自転車と共に、彼は大きな自信と達成感ももらいました。

こんなすごい話ってそんなにあるものじゃないと思います。』

 

R君、多分私もまだ遊んだことのない子ですね。

あえて補助輪なしの自転車を譲ったことがよかったとは

夢にも思いませんでした。

子どもに秘められている力とその無限性に、感動しました。

一週間後、一通のハガキが届きました。 

自転車の絵が一面に描かれていて

すぐにR君からのものだと分かり、とても嬉しかったです。

R君は、綺麗な魂を持つやさしい子ですね。そのハガキから、

感謝の気持ちが伝わってきます。

まだ幼い未就学児、知らないおばちゃんに精一杯絵を描いて、字を書いて・・・

R君の投函を手伝ってくれたKさんにも感謝しました。

 

一か月後、能古島レクレーションの日の朝、集合場所で、

R君に初めて会うことができました。

「R君、すごいですね。自転車も乗れて、立派な絵も描けて…

ハガキ描いてくれてありがとう・・・」と、

私がほめると、わくわくしたR君は思わず両手をあげて、

絵を描くポーズをし始めました。

 

私は一瞬、自分の目を疑いました。

R君の両手の指に障害があるではないですか!

 

この手で、自転車のハンドルを握ってバランスを取るのも、

ペンを握って絵や字を書くのも、どれだけ他の子より頑張りが必要なのか!

 

R君は、見事ないのちの無限性を見せてくれました。

「幼児自転車があります」との一言から始まったR君との出会い、とても嬉しく思います。

子どもの尊さを勉強できた貴重な体験となりました。

 

『温泉探検隊~しりとり』 里母SM

 

一冊の「九州日帰り温泉201X」を手に

持って、あっちこっち秘境の湯を”探検”するのは我が家の楽しい年間計画。

 

先日、大分由布岳が綺麗に見える温泉に行ってきました。

パパは超有名な「長風呂」達人。いつも1時間半の時間がないと、中々男湯から出てきません。その間、母娘3人が女湯で時間をつぶすのに、たいてい足湯でもしながら、しりとり遊びを始めます。3回戦くらいすれば、意外に1時間半があっという間に過ぎてしまいます。そして、意外と私がいつも小学生2人の娘に負けています。アジャ!と、またかい!と、「絶景」を見ながら、「絶叫」もしますわ。ω;`)

 

『Yちゃん 小学1年生 夏休みの宿題』 里母SM

 

夏休み、一家4人が海外でオーロラを見て来ました。

「ママ、トイレ!」、「パパ、寒い!」とか、

小学生2人もそばで騒いでいれば、

いくら光が頭の上で舞い踊っていても、

夫婦はちっと感動する暇がなかった。

勿論、テレビ番組で見たように、涙が出る程の期待も台無し・・・

「はぁ、やっぱり、子どもたちと一緒に行く所じゃなかった!

子どもって、まだ珍しいものじゃ、分からないやろうね。 」と

帰国後、度々思っていた私が、下の子の夏休み宿題を見たら、

考えがうって変わりました。

「なつやすみのいちばんのおもいで」は『オーロラがみれたこと』ですね。

この旅の思い出がちゃんとしっかり、

小さな魂の中に掘り込んで行ったようです。良かった、良かった!

                   (2013年9月) 


日記『字が読めるようになった頃のあなたへ』

                      里母SM

○○年4月25日(金)晴れ

 Yちゃん、Yたん、Yたんたん、そしてとうとう「タンタン」と呼ばれてしまった我が子よ、二歳のお誕生日、おめでとうございます。

 タンタン、知ってますか?ママは香港出身で、普段は日記を書くのに中国語を使っています。でも、このめでたい日をきっかけに、ママはあなたのライフストーリーの作成を決心したの。この日記を序言として付けときたいため、ママは初めて日本語で日記を書いてみました。

 あなたが、この文章を読めるのはあと何年先でしょうか。その時、あなたは「里子」という身分で、どのくらい普通家庭の子とは違う道を歩み、心の奥にどのくらい特別な思いを積もっているでしょうか。それぞれの体験は、あなたの人生をある程度苦しめたのか、それとも、これらの「違う道」、「特別な思い」は、あなたに「類のない」幸せを味わわせてくれたのか。ん・・・あなたの答えが楽しみです。人生は山あり谷あり、きっとあなたの「評価」ははっきりしない時が多いでしょう。迷い込んだ時、自分の生きる意味が疑われるようなことが起きた時、この「タンタン物語」を是非、読んでみてください。きっと、ママがあなたの小さい頃にずっと耳元で話しかけた言葉を思い出すでしょう。

 『少なくとも、ママがどれだけあなたを愛しているのか、分かってほしい!』

 あなたが強く生きてくれることが、ママの生きがいです。知っていますかタンタン?今のあなたは有名な「ママコン」です。ママが居るだけで、あなたはどんなものも欲しがりません。そして誰にもついて行こうとしません。あなたは、そんなにママのことが好きなのかなぁ?それとも、単にママの愛が足りてない為、不安になった結果、ずっとママにくっついているだけかなぁ?いつか、ママの元から飛び立ちたくてたまらない日が必ずやってきます。その時もどうぞ、自分のライフストーリーを読んでみたらいかがでしょうか?大発見を約束します。タンタンが「ママコン」を卒業しても、パパとママは永遠に「タンタンコン」だよ。パパとママはこれから歳年を取ります。段々うるさく聞こえても、パパとママのことを嫌がらないでね。だって、ママはただずっとタンタンを見守ってあげたいだけなのです。やはりあなたはいくつになっても、ママにとって永遠の赤ちゃんだよ!

 ママはちゃんと知っています。あなたがいかに頑張って生きて来たことを。残念な現実ですが、あなたは生みの親にとって望まない存在でした。でもあなたは胎内で困難を乗り越えて、生き残りました。この生きる喜びを誰よりもありがたく味わっているからこそ、いつも自然に素敵な笑顔を見せられるあなたは、ママとパパをはじめ、沢山の人々の心を暖める存在となりました。

 あなたがうちに来たのは、○○年12月、生後七ヶ月の頃でした。その年のクリスマスは、寒いながらもあなたのお陰で、パパとママ、そして家族と友人が、最高の温もりで過ごすことが出来ました。あなたが生まれてくれた努力を空しくしないように、ママはいつも周りに手を借りながら、頑張っていますよ。ママがタンタンの楽しい成長を見守ることは、何よりも、二年前あなたが頑張って母親に生んでもらった努力の報いになると信じます。あなたが生まれてくれたその大切さを、誕生日のこの日、そして誕生日以外の364日にも、ママはちゃんと言葉にして行動にして、あなたに伝えて行きたいと思います。ママとパパの元に来てくれて、ありがとう~~と。

 去年のキリスト復活祭に、ママはあなたにカトリック幼児洗礼を受けさせました。知っていますか?あなたの洗礼名は「テレサ」です。マザー・テレサのように、すべての命の尊さを見出すことの出来る心を持ち、いつも周りを幸せにしてくれる存在となりますよう、この洗礼名にママの深い期待が込められています。

 さぁタンタン、この「ライフ」ストーリーは、ママからタンタンへの「ラブ」ストーリーであり、タンタンがママから受け継いだ最高の財産となりますように、これからも一緒に手を組んで素晴らしい作品を作っていきましょうね!でも、ママは単なる物事を記録する役だけであって、内容そのものが素晴らしいかどうかは、やはりタンタン次第だよ。では、頑張って生きて行こうね、約束するわよ!

 どうでしょうかタンタン、このライフストーリーをタンタンだけのドキュメンタリーにするのでなく、タンタンによって幸せになった人々のドキュメンタリーにもしましょうか?もしそうするなら、ママがまずその第一候補者になりましょう。