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『有難うございますの一言では表すことができません』 里子A君

 

福大大濠高校を卒業し、4月から福岡大学の薬学部に行かせていただきます。父と母にはとても感謝しており、有難うございますの一言では表すことができません。昔からさまざまなことで迷惑をかけてすみませんでした。塾での成績についての面談や、学校での喧嘩など数えきれないほどあります。これから先お金の面や、様々な面でまた迷惑をかけてしまうことがありますが、その時はよろしくお願いします。また今やってもらう事、今まで自分がやってもらっている事が当たり前だと思って生活してきた事を考え直して、自分で何でもできる、そういう大人になれるように、これから生活していきたいです。最後になりますが、両親が思い描いていたような息子には慣れていないと思いますが、自分なりに生きて行こうと思いますので、ご支援のほど、よろしくお願いします。

 

『とっても私たちはAを迎えられた事を幸せに思っています』 里母YD

 

本日は沢山の方にお祝いしていただき、有難うございます。息子に一言、A君へ。2001年4月、家族全員でA君を迎えました。その日は平和五丁目の桜並木が満開だったのを思い出しました。Aの名前は主人の実家近くに祀られている大杉のように真っ直ぐ大きく育つようにと、杉の字を入れ、下の字は今は無き祖父より一字をいただきました。祖父は「Y家の男の子だ」ととても喜び、病にて入院していてもお見舞いに行くよと言うと、「Aがいつも大好きなものを買いに行く」と病院を抜け出そうとしたこともありました。一番に可愛がってくれていた祖父の事を、いつまでも忘れずにいてください。幼少の頃より、スポーツが大好きでサッカー、少林寺拳法、陸上、バドミントンと練習や試合のたびに、家

 

族全員で応援に出かけ、楽しい思い出ができました。中学生の時「将来は医療の道か、スポーツ選手になりたい」と手紙をくれましたね。大切に今もしています。あの頃から先を考えていたんですね。福岡大学薬学部で六年間勉強することも大切ですが、一生の友達を見つけて、楽しい大学生生活を送ってください。また、今までもこれから先も、沢山の人に助けていただくことが多いと思います。感謝の気持ちを常に忘れずに、歩んでいってほしいと思います。とっても私たちはAを迎えられた事を幸せに思っています。有難う。

 

『私達はあなた方の応援者です』 (前)巣立ちの基金 理事長 YD

 

本日、すだち式を迎える皆さん、おめでとうございます。あなた達は、里親さんの家庭で、愛情一杯に育てられ、この春、次のステップへと羽ばたいていかれます。社会人として、また大学、専門学校へ 「夢へ」 向って飛び立ちます。私達はあなた方の応援者です。いつでも頼ってください。 迷ったとき・寂しくなった時・傷ついたとき、私達は常にあなた方の事を思っています。ここにいる皆がサポーターです。一人ではない事を胸に、羽ばたいてください。ここに皆さんの未来を祝して 「お祝い金」 を里親会・会長に託します。本当におめでとうございます。

 

『一番大好きな歌で進学することを応援してくれてありがとう』

                       里子Aさん

 

私は学校に行くのが嫌いでした。自分に自信がなく、学校に行ってなんで私はこんなに声が低いんだろうと感じるのが嫌いでした。

高校一年の時に、初めて声楽というのを知り、習い始めました。

声楽を通して、響きやすい大きな声、かわいげのない低い声も声の出し方できれいに歌うことができると知りました。

すると、あんなに嫌だった自分の声が段々好きになりました。

声楽を始めたことで、自分に自信がつきました。

そこで私はもっと深く勉強し、音楽を通して人は変われることを伝えたいと思い、音楽大学への進学を決めました。

初めて両親に伝える時、反対されたらどうしようと、とても不安でした。

けれど私の両親は、「Aのやりたいことなら応援する」と言ってくれました。

 

お父さん、お母さん、

私が一番好きな歌で進学することを応援してくれてありがとうございます。

いつか必ず大きな舞台で歌っている所を見せられるように頑張ります。

 

『私達を、お父さんとお母さんにしてくれてありがとう』

                        里母YD

 

本日は、娘のために巣立ちの会を催していただき、ありがとうございます。

平成○年三月、ひなまつりの頃に生まれました。

その日は、とても晴天で暖かな春がやって来たと思えるような日でした。

長女と二人でひな人形を片付けていたので不思議と、その日の事をよく覚えています。

小さな頃よりおしゃべりが大好きで、よく笑う明るい元気な子でした。

二歳の頃歌が大好きで、長女が幼稚園に入園し、幼稚園バスで帰ってくると急ぎバスに近寄り、ドアが開くと同時に大きな声で一曲歌っていました。

幼稚園バスは出することができず、先生からは”お上手ですね”

と褒めてもらい、それが嬉しくて毎日歌っていました。

小学校中学校と辛く、苦しい事も沢山ありました。

告知をした頃が、一番辛かった様です。

しかし、一つ一つ家族で超えてきました。

私達の子どもとしての法の手続きをする際に名前を、

ひらがなから漢字に変えました。

 

「人生というステージで、スポットライトを浴び

        沢山の拍手喝采を預けるように」との願いを込めて・・・・。

 

これから大阪で声楽の勉強をします。

努力しなければならない事も、沢山あると思います。

またその先で、人前で歌う事もあります。

歌う前に”私の歌声で皆さまが幸せになりますように”と心に念じ、

歌ってほしいと思います。

十八年間、沢山の楽しい思い出をありがとう。

そして何よりも私達を、

        お父さん、お母さんにしてくれてありがとう。

 

『Mを通し、私達、親の世界も広がった』 里母YD

 

平成七年の春、乳児院を訪問した時、

ベビーベッドの中から、じっと私達を見つめている子がいて、

足を止めました。この時の事を忘れる事が出来ません。

それがMとの出会いでした。

幼稚園、小学校、中学、高校と、Mを通し、

私達、親の世界も広がった様に思います。

たくさんの方々との出会いや、色々な経験をさせていただきました。

恵と出会えなかったら、こんなに楽しい人生は、なかったでしょう。

今、Mに感謝しています。

苦しい時、悲しい時、Mと共にのり越えてきました。

センターの先生方にも、助けて頂きました。

勉強では算数が苦手で、泣いておりましたが、

高校最後の通知表で数学”5”を見た時、

頑張ってきたのだと、感心しました。

Mは、思いやりのある、やさしい子に育ちました。

私共からみても、うらやましいくらいのたくさんの友達が居て、

誕生日などは、抱えきれないくらいたくさんのプレゼントを、

持ち帰ります。

これからは、まわりの人を、大切にして、

幸せな人生を歩んでほしいと、心より願っております。

たくさんの思い出を、ありがとう。

また、これから、大学生活、楽しいものにしていきましょう。