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『大学進学後も・・』   卒業生A君

 

拝啓

 今度は皆様の手厚いご支援のおかげで無事高校を卒業することが出来ました。ありがとうございました。特に進路について考えているときに、今までにサポートしていただいていたことに気づきました。大学進学後も勉学に精進し、社会に貢献していきます。     敬具

 

『これからも家族として繋がっていけたら』   里母OK

 

 A君、卒業おめでとう!

 私からお手紙を書くのは、かなり久しぶりと思います。

 

 小さかったあなたがこんなに大きくなり18さいになりました。

 

これも、周りの方々の助けがあって、いろんな偶然が重なって、またあなた自身の運があってのことがと思います。

 

 小さい頃は、素直で優しい男の子でしたね!いつもお姉ちゃんの陰になって、満たされない思いもさせてしまったと思います。でも、いつもにこにこ笑顔のAくんに癒され、助けられました。 今は、思春期真っただ中で、めったにそんな顔を母には見せてくれることは少なくなりましたが、お友達にはこれまで通り、愛されるAくんでいてくださいね!

 

 まだまだ体の事とか、今後の大学生活とか母としては心配は絶えませんがAくんの持ち前の力を信じて、できるだけ見守るように私も頑張ります!

 

 家で過ごす期間はあとわずかかもしれませんが、これからも家族として繋がっていけたら嬉しいです。

 

『親孝行できるように頑張ります』             卒業生Yさん

 

ママへ

 

3年間Yを支えてくれてありがとうございました。

 

1、2、3年、3年間色々ママを困らせてばっかりで本当すみませんでした。自宅きんしんになったり、勝手に家を飛び出してたくさんママを泣かせてしまったね。今では本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

けど、今こうしてYがこの学校を卒業できるのは、本当にママのおかげだと思っています。学校ともめ事になった時も一緒に戦ってくれたり、一緒に泣いてくれたり、本当にママにはたくさん色んな思いをさせてばっかりやったね。けど、ほんとうあの日ママが格好良く見えたよ。

 

ありがとう。そして、今日こうやって福岡高等学園を卒業できるのは本当に家族の支えがないとできていないことやった。今Yが思うことは、ほんとうにママの子で良かった。他の家とは少し違うけどそれはそれ。

 

これからママに色々してもらった分親孝行できるように頑張ります。なのでこれからもYのそばでずっと見守って下さい。立派な社会人に絶対なってみせてあげる。

 

『これからもずっと仲良く暮らしていこうね』    里母OK

 

Yへ

いよいよ新社会人ですね!本当にこの日が来るのが信じられないです。

 

Yは、母の日やママの誕生日などによく書いてくれましたね。

 

でもママが改めてYに手紙を書くのは2回目です、たぶん。

 

初めて書いたのは、昨年のあの悲しい事件の時。あれは本当に人生最悪の事件でした。Yにもう2度と会えないかもしれないと思いつつ、どんな思い違いがあるにせよ、ママの気持ちはしっかり伝えないといけないと思い、必死の思いで出しました。あれから、もう1年。今は何事もなかったように?穏やかに毎日が過ごせてます。細かい事を言えば、やはり色んな問題行動で相変わらず、油断できないYでした。これからも、当分はそういうがまだまだ続くかもしれないけど、失敗からきっと多くの事を学んでくれてると思います。

 

色々あったけど、お互い決意して結んだ親子関係。良い時もあれば、辛い時もある。途中でおじいちゃんも亡くなった時も、みんなで駆けつけて看取ってあげたよね。だから、Yは本当にうちに縁があった子なんだろうなぁと思うし、きっと天国のおじいちゃんも見守ってくれてることでしょう。(本当に、じいじはYが中学生になる姿までは生きて見たいと闘病中も言ってましたよ!)

 

これからは、学生時代と違ってシビアな要求がくる社会で働いていかないといけません。でも昔から子ども好きなYだから、きっと自分が選んだ第一志望の職場できっと頑張れるはずだと信じています。

 

また困った時は、一人で暴走してごまかさないでください。絶対に周りに助けてくれる人はいるはずだから、素直にSOSを出してうまく乗り越えてって欲しいと思います。家ではまだまだママとのバトルは絶えないでしょうけど、ママも年取ってくるしちょっとずつでも優しくして欲しいと思ってます。これからもずっと仲良く暮らしていこうね。

 

ママより

 

『家族は絶対に大切にしてください』      里子Yさん

 

Aちゃんへ

 

あの日から約3年がたちました。この3年はとても短く、長く感じます。3年たった今でもAちゃんのことは忘れられません。本当にAちゃんがいない日にありえないくらいで、寂しいです。今でもできるなら、Aちゃんに会ってたくさん話がしたくてたまりません。あの日Aちゃんが、息を引きとった日から、私の時も止まっていて、母にも「Aちゃんに会いたいな」ってこの1年ずっと言っていました。けど、私はAちゃんに報告せんといけんことがあって。この場をかりて言わせて下さい。私は「3月から4~5ヶ月の間大変だったんだよ」ってことを1番に伝えたいです。親や家族と離れて暮らすのは私にとってとても辛かったし、自分の発言であんな風になるなんで全然思っていなくてほんとうに「ごめんね」の言葉でいっぱいです。あとみんなに1つだけお願いがあります。それは、家族は絶対に大切にしてください。今、親のことが「うざい」「きもい」って思っている人もいるかもしれないけど、最後はこの家族でよかったなと絶対思います。なので家族は絶対に大切にしてください。

 

話は戻るけど、Aちゃん、私はとても大変だったんだよ。けど、これからもっと大きなかべがあるんよ。それはね。私は今3年生でこれから就職活動があるんよ。それがさ、私さ、前Aちゃんに保育士になるって言っとったやん。それがね、色々あって介護の仕事にすすむことに決めたんよね。その理由がね、やっぱり、私は人を守る仕事につきたいって思ってさ。やけんさ、私のさ、夢を応援してくれませんか?そばで見守ってくれませんか?

 

就職決まったら、Aちゃんにも絶対報告するけんまっとって!!あ。その前にAちゃんのこと知らない人もいるかもしれないのでもう1回だけ言っておきますね。Aちゃんは誰にでも優しく明るい女の子で、Aちゃんは今でも、愛されています。ってことです。

 

毎年このような会を開いてくださっている方々に感謝の気持ちでいっぱいです。Aちゃんも今、とても喜んでいると思います。本当にありがとうございます。そしてこれからもAちゃんのことは絶対に忘れないでください。Aちゃんは私にとって本当に家族みたいな存在でした。本当にあのようなかたちで別れがきてしまったことはとても残念だ。だけど、これからもAちゃんの分まで私ががんばらんといかんね。頑張っています。なのでAちゃん、空から見守っていて下さい。そして長くなったけど、最後に2つ言わせて下さい。

 

1つ目は、家族、友達、すきなひとは大切にして下さい。良いことをしたあとには必ず良いことがかえってきます。

 

2つ目は、今、ここにいるみんなにお願いです。Aちゃんのことは絶対に忘れないで下さい。Aちゃんはいつでもみんなのそばにいます。なので、これからもAちゃんのことは絶対に忘れないで下さい。

 

長くなったけど、Aちゃん。私からのお願いをきいてね。私のお願いは、これからもみんなのことをお空から見守っていてね。それと、私の夢を全力で応援していてね。

 

Aちゃん。だいすきだよ。

Yより

 

『Ayaちゃんへ』         里子Yさん

 

あれから約2年半がたちました。今でもあやちゃんのことを思い出すと涙があふれてきます。あやちゃんとは、小さい頃からずっと仲良くさせてもらっていたね。最初あやちゃんと出会ったのは8年前の和白グループホームだったんだよ。そこで一緒に海水浴を楽しんでいたんだって。全然覚えてないよね。うちだって覚えてなくて、ママに聞いて驚いたんだよ。本当あやちゃんは色んな人から愛されていたん。けどさ、あやちゃんはさ、少し心配しとったことがうちはあったんよ。それはね、つらい時や、苦しい時もずっと笑顔だったってこと。これは一番うちの中でずっと心配しとったこと。「本当に大丈夫なんやろうか」とか「つらくないんやろうか」とかずっと会うたびに思いよった。けどさ、あやちゃんは

いつも会うたびにさ「全然大丈夫」とか「学校楽しい」とかずっと笑顔で語ってくれよった。うち正直思いよった。「うちの前では泣いていいんよ」とか「うちの前で素のあやちゃんを見せてほしい」って。けど、なかなかその言葉が言えんでずっと考えよった。けど一瞬だけ相談してきてくれとたね。ずっと皆に内緒にしとったこと、それはあやちゃんに唯一好きな人ができたことやったね。「Yちゃん聞いて、あやね、好きな人が出来た。どうしよう。」って相談してきてくれた。この時、初めて見たあの顔。涙ぐんでいた顔。本当今でもあの顔は忘れられん。うちはずっと「頑張れ。」って応援してた。あの後はちゃんと好きな人との夢は叶ったかな?叶ってることを祈っとくネ。

 

それからそれから、話は変わるけど、あやちゃんの良い所を言っとくネ。あやちゃんは本当に優しくて、明るく、元気な性格でした。中学校の入学式、あやちゃんは笑顔で写真とっていたネ。部活も頑張っていたネ。でも、その矢先、1本のメールが届いてきた。「あやちゃんが徳洲会に入院。緊急搬送された」ってことが。その時、「うそやん。そんなことありえん。すぐお見舞いに行く」ってママにずっと言いよった。けど、その日、うちは普通に学校に行って帰り、「ただいま」と大きな声で玄関の扉をあけたらママがパソコンに向かって座っていて、いきなり「Y、座って」って「大事な話がある。悲しいお知らせがある」って言われて何気なく座った。そしたら「あやちゃんが亡くなった」って言われてはじめは現実を受け止めきれなくて、「今すぐあやちゃんに会いに行く」って言った。1分くらいして、涙があふれてきて、立ち上がれんくて、もうあやちゃんに会いたいしか頭になかった。でも、最後に耳にしたことがあったん。「最後にあやちゃんの左の目から涙が出てきた」ってこと。本当このことを聞いただけで、また、いっきに涙があふれて30分くらい玄関の前が泣き崩れてしまったん。本当に悲しくて、その夜は本当に寝れんかった。けどうちは思ったん。「あやちゃんの分も頑張らないといかん」って。そう、泣いてばっかりはいかん。そう決めました。あやちゃん、長くなったけど、これから先もずっと天国ノ空から皆のことを見守っていて下さい。そしてこれからもあやちゃんの分まで頑張ります。あやちゃんのように皆に優しい人になります。

 

『私は私なりの人生を歩んでいきたい』      里子Yさん

 

私が、この3年間、つらかったこと、うれしかったことは、自然教室や修学旅行、受験です。

 

まず、中学校初めての自然教室でした。私は集団行動が苦手で、友達が少なく、私は周りにたくさんのめいわくをかけてしまいました。

すると、突然友達が「Yなら大丈夫」と言ってくれました。私はその一言ですくわれました。

 

次に二度目の集団行動、修学旅行がありました。修学旅行は、自然教室とは違って、班別自主研修というのがありました。初めはとても不安でした。班で周るのはとても大変でした。けんかもたくさんしました。ご飯の事でもたくさんもめました。私は、この時、どうしたらいいのか分からずずっと見ているだけでした。本当にあの時、けんかやもめあいをとめることができたのに、私はなぜ止めなかったのかだと心に深く残っています。

 

最後に受験です。受験は3年間の中で一番大事な試験です。この受験で自分の進路が決まります。でもとてもつらかったです。それに三者面談の時私は、先生にこんなことを言われました。「あなたはここの学校を受けるのはとてもむずかしいよ。」と言われました。その時私は、とてもショックでした。

 

「自分が行きたい高校になぜ行けないんだろう。」とちょっと思っていました。でも、なぜ私が行きたい高校に行けないのかは自分でも分かっています。それでも、自分が行きたい高校に行くことはできませんでした。でも、私は、その高校をあきらめることができず、お母さんとたくさんもめました。ある時お母さんからこんなことを言われました。「あんたなら絶対行ける。第2希望の高校を受けなさい。」と言われました。私は「いやだ。」と答えてしまい、お母さんをたくさん困らせてしまいました。でも私は、第2希望の高校に受かりました。とてもうれしかったです。

 

帰ってお母さんに合格のことを話すと「おー。すごいじゃん。本当あんたが受かったのは奇跡なんよ。」と言われた時、私とお母さんで、ハイタッチをしました。

 

この時私は、「本当に頑張ったかいがあったな」と思いました。そしてお母さん、私が合格した時に一緒に泣いて、ときにはきびしくおこってくれて本当にありがとうございました。そして、たくさんの方々、とくに先生方、本当にありがとうございました。私はこれから家族と離れてしまうけど、私は私なりの人生を歩んでいきたいです。私はこの3年間たくさんの方々に支えられてとても、いい中学校生活を送れたと思うので、次に私がたくさんの方々に恩をかえしたいと思っています。