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『全ては、Nくんから始まった』 里母ST

 

Nくんへ

 

高校卒業おめでとうございます。

卒業できるかどうか最後の最後まで心配でしたが、

持ち前のバランスの良さで立派に卒業できて安心しました。

 

思い起こすと17年前、Nくんと私は出会いました。

1月の小雪がちらつく寒い日、夫と私は、児童相談所の当時担当だった平原さんという男性職員と

山口さんという若い女性と一緒に福岡乳児院を訪問しました。

応接室で打ち合わせをして、子供たちの部屋に行くと

子供たちがたくさん遊んでいて、3人の子どもが手摺りのところに出てきました。

乳児院の先生が一人ずつ名前を呼び、「Nく~ん」と呼ぶと

ニコニコしながら「ハ~イ!」と左手を挙げたのが、Nくんでした。

薄暗い部屋の中で、遠目からNくんを見たその輝く情景は今でも鮮やかに憶えています。

部屋に入ると沢山の子供たちが私たちに近寄ってきて

ピンクのカーディガンを着てきた私の服を触ったり、

(私は滅多にピンク色は着ないのですが、警戒されないように、と保育士さんと同じ色を着ていました)

腕をからませたり、髪飾りをはずしたりしてきました。

そしてNくんも遠くから近づいてきて他の子と一緒に

座っていた私の膝にソロソロとよじ登ってきたのです・・・

それを見ていた平原さんと山口さんが小さく拍手してくれたのを

ついこの間のように覚えています。

 

あれから17年いろんなことがありましたね。

どんな状況だったかはよく憶えていないのですが、

私は観葉植物の鉢植えを沢山抱えて、西新の202号線の交差点を渡っている途中

真ん中で幾つかを落としてしまいました。

砂も葉っぱもぐちゃぐちゃに散らばっていたにもかかわらず

私はそれに気づかずにあせって渡ろうとしていました。

すると後ろからついて来ていた5歳のNくんが

「ママ!落ちたよ!」と言って

赤信号に変わった中、茶色の砂や鉢の欠片を必死に拾って掻き集めていました。

車も止まり、通行人も立ち止まったまま、西新の街で皆があっけにとられて見ていました・・・

 

小学校6年の秋、いつものように学校まで送って行ったあと、

私は3階の教室に電気が点くまでしばらく見上げるのが日課でした。

その日はいつまでも灯りがつかず

おかしいな~と首をかしげながら、帰ったあとに、

学校からNくんが登校していないと連絡がありました。

それから永きに亘り、学校に行く、行かないで学校信仰にとらわれている私と

自由人のNくんとでモメましたね。

 

Nくんがいなかったら、私の人生はとても味気ないものだったでしょう。

「地球」は「学び」の星です。

ずっと何かを学んでいかないといけない星です。

Nくんがいなかったら、私は別の事で学ばなければいけなかったけれど、

私はNくんで学ばせてもらって本当にラッキーでした。

 

私はNくんの笑顔、明るさでどれだけ助けてもらったかわかりません。

インドでは「一つの扉が閉まると、別のもう一つの扉が開く」という諺があります。

私は「Nくんという扉」が開いて本当に感謝しています。

メッセージを、ということでしたが、これは私からNくんへのお礼の手紙です。

 

Nくんの「強み」は、バランスの良さ、頭の良さです。

温かく愛情深いところです。

リスクを嫌って、チャンスを遠ざけるところもありますが、

自分を信じて進んでいって下さい。

今まで大きな怪我も病気もなく、Nくんの体には外的には1ミリも1針も

穴が空いていません。

スピリチュアルな観点から言うと、1ミリも穴が空いていないということは、

体の中のエネルギーが1ミクロンも出て行っていないという証です。

エネルギーが満ち満ちている証拠です。

マンモスがうろうろしていた400万年前に寒さや飢えを凌ぎながら

生きてきたもっとも生存能力の強かった子孫のNくんです。

そして沢山のラッキーな偶然が重なり、ママの子供になった強運のNくんです。

 

自然食、添加物にこだわり、占いを信じたり、朝5時から掃除しまくったり、

学校の先生、お店の人、地下鉄でも平気で文句を言ったり

本当に自分でもヘンN母さんで

Nくんも内心さぞ呆れていると思いますが、

いつもともくんと一緒に話を聞いてくれて、話を合わせてくれて、聞き流してくれて

ありがとう!!

これからもよろしくお願いします。

 

ご卒業おめでとうございます。

 

N君より:いままでお世話になり、有難うございました。